大和神社 (和田織部碑)
大和神社には、仙台藩国老・和田織部の碑がある。
和田織部は、蒲生(現在の仙台市宮城野区蒲生)領主。先祖の和田織部房長が、1661年、多賀城より家臣30名と共にこの地に移住、京都伏見稲荷神社の分霊を氏神として館内に祭ったのがこの神社の由来。和田氏の出身が大和であった為、大和神社と称した。
碑の正面に『義義義 智證院殿和田織部為泰之碑』、側面に『戊辰之役義死 明治二年旧四月十四日卒 御年三十八歳』と刻まれているが、「義」の字が3つ合わさっているのが、とても珍しい。
織部は戊辰戦争時、参謀として出陣。敗戦後の混乱の中、最後の国老として迎えられ、戦後処理に当たった。その処理における辣腕ぶりは目を瞠るものがあったという。しかしながら、反対派から「外国人や浮浪の徒を集めて謀反を企てている」と明治政府に密告され、明治2年4月14日、切腹させられた。
この碑は、和田家の家臣たちが和田織部為泰の遺徳を称えて建立した慰霊碑で、大和神社の奥に建っている。