飯沼貞吉終焉の地
仙台市青葉区錦町にあるアパートの裏手の一角に、「蘇生白虎隊士飯沼貞吉終焉之地」碑がひっそりと建っています。
此処は、仙台逓信管理局工務部長を務めた飯沼貞雄(貞吉)が、退隠後も余生を過ごした地。彼は此処で亡くなり、その後はご子孫が1991年まで幼稚園を営まれていたそうです。現在は閑静な住宅地で、アパートが建っています。
2010年、それまでアパートの裏側にあった「終焉之地」の碑が、貞雄氏が札幌から持って来て植えたという柏の木の傍らに移されました。 (上記写真、2010年11月8日撮影)
上記の2枚は、以前の場所にあった時に撮影したもの。
石碑の裏面に、簡単な紹介文が刻まれています。
この柏の木は、貞雄氏が札幌から持ってきたもので、孫木がご子孫の手で喜多方の不動堂に植樹されました。貞雄氏は、ほかに身しらずの柿などを植え、歌を詠み、故郷会津を想いつつ余生を過ごされたのでしょう。
【飯沼貞吉終焉の地へのアクセス】
住宅地である為、サイト上に詳細を記すのは控えます。ごめんなさいm(_ _)m。