保春院 (玉虫左太夫墓所)



 

保春院には、仙台藩士・玉虫左太夫の墓所がある。上記写真、向かって左側の小さな墓碑が左太夫のもの。

玉虫左太夫 (たまむし さだゆう)
文政6年生まれ。幼名は勇八、後に左太夫。諱は諠茂。藩校・養賢堂を経て、24歳の時、江戸に出て学ぶ。安政3年、箱館奉行・堀織部正に従い蝦夷地に赴く。その時の記録が『蝦夷紀行』として残された。万延元年、幕府使節外国奉行新見豊前守に従いて米国を訪問。帰国後、禄を追加されて大藩士に列し、御小姓組並となった。文久元年、諸外国の動向や江戸の動き、諸藩の形勢を探索。慶応4年、仙台藩に会津追討が命じられると、但木土佐の推挙により会津に正使として赴き、奥羽越列藩同盟締結に尽力したが、戦況の悪化に伴い藩論が恭順となり、仙台藩は降伏。左太夫は捕えられ、明治2年4月14日、切腹を命じられた。享年47歳。

所在地 : 宮城県仙台市若林区保春院前50





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