長州藩蔵屋敷跡 / 薩摩藩蔵屋敷跡 (大坂)

 

現在の大阪市西区土佐堀から江戸堀、立売(いたち)堀のあたりは、かつて諸藩の蔵屋敷が集中していた地区です。蔵屋敷というのは、その名のとおり、米やその他の物品を貯蔵していた処で、物流の中心として機能していたそうです。そのため、大坂は『天下の台所』と呼ばれて賑わいました。

 

土佐堀通りとなにわ筋の交差点に、『長州萩藩 蔵屋敷跡』の石碑が建っています。ご覧のとおり、自己主張の強い立派な石碑なので、見落とすことはないでしょう。
文久三年、八月十八日の政変のあと、長州へ落ち延びる途中の三条実美ら七名の尊皇攘夷派公卿達がここに立ち寄ったことがあるそうです。(石碑の『長州萩藩 蔵屋敷跡』の上にある記述より)

【アクセス】 大阪市営地下鉄四つ橋線、肥後橋駅下車。2番出口から出て、土佐堀通りを西に向かって徒歩5〜6分。

 

左端の歩行者用信号機の後ろが、長州藩蔵屋敷跡。
手前(横)の通り : なにわ筋、縦の通り : 土佐堀通り
(大阪では、東西に走る通りには「通(とお)り」、南北に走る通りには「筋(すじ)」が付きます)

 

 

 

土佐堀通りを西に向かって歩くこと5〜6分、右手に三井倉庫の看板が見えてきます(上の写真)。薩摩藩蔵屋敷跡の石碑は、看板の少し手前、交差点の角にあります。こちらは幾分ひっそりと建っております。

 


 

 

薩摩藩蔵屋敷跡から長州藩蔵屋敷跡の方向を見たところ→
(縦の通りは土佐堀通り)

現在は区画整理された大通りですが、かつてはもっと狭かったであろうこの道を、長州藩士や薩摩藩士が行き来したのでしょうね……。

 

 

 

 

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