新潟県護国神社
新潟県護国神社は全国でも珍しく、戊辰戦争での東西両軍の慰霊碑が(建立の時代は異なりますが)同じ敷地内に建てられています。西軍墓碑の中で越前藩の方々のものだけが何故か名前が(おそらく故意に)削られていました。何かあったのでしょうか。。
墓域への入口と、戊辰殉難者墓苑の碑。
広い敷地の奥に、慰霊碑が3つあります。左から、十津川親兵、薩摩藩、東軍の慰霊碑。その周囲を取り囲むように、西軍戦死者の墓碑があります。
写真右は、東軍慰霊碑です。昭和63年建立、題字は南摩綱紀によるもの。
新潟大神宮
新潟大神宮にある「殉節之碑」(越後で戦死した会津藩士の鎮魂碑。篆額は松平容保公)は、戊辰後、越後在住の旧会津藩士たちが家宝の刀剣を売るなど苦しい生活の中から資金を出し合い、地元越後の人々の支援も得て、二十三回忌にあたる明治23年に建立したものです。年月が経ち、存在が忘れられたままになっていましたが、護国神社の「東軍慰霊碑」建立にまつわり見出され、平成2年の百年祭以来、「殉節之碑」祀裔会の方々によって毎年慰霊祭が続けられています。