白虎隊士の略伝 (2)

戦死白虎三十一士


隊士の名前の読み方・漢字表記については諸説ありますが、ここでは一般的な研究・解説書に従っています。
士中一番隊、寄合一番・二番隊の戦いについては、「白虎隊の編制」からのそれぞれのリンクを参照ください。足軽隊は、隊としてまとまった行動はありませんでしたが、個々に戦いに参加、数名の戦死者を出しています。
西村四郎
にしむら しろう
士中一番隊所属。延八倅、十七歳。八月二十三日、甲賀町口郭門から土屋邸を経て六日町通りに出て、鳥居町を東に向かう途中で敵の襲撃に遭い、戦死。
佐久間直記
さくま なおき
士中一番隊所属。平助倅、十六歳。上記の西村四郎と同様、鳥居町の辺りで戦死。
坂井源吾
さかい げんご
士中一番隊所属。金左衛門次男、十七歳。八月二十三日、甲賀町口郭門の東側の三宅邸での戦いで小隊長の中村帯刀と共に負傷、城内に運ばれ手当てを受けていたが、九月十五日、敵の砲弾を受け、斃れた。
佐々木新六郎
ささき しんろくろう
寄合一番隊所属。佐左衛門三男、十六歳。八月十四日、越後の赤谷口の戦いで戦死。
高崎駒之助
たかさき こまのすけ
寄合一番隊所属。伴助倅、十七歳。八月二十四日の戦いで重傷を負い、搬送される途中(九月五日)死去。
藤森八太郎
ふじもり やたろう
寄合一番隊所属。家禄十四石三人扶持、十六歳。八月二十五日、戦死。
星勇八
ほし ゆうはち
寄合二番隊所属。勝助次男、十六歳。八月十五日、越後の左取での戦いで戦死。墓は飯盛山のほか、新潟県五泉市佐取の長徳寺。
百瀬外次郎
ももせ ほかじろう
寄合二番隊所属。利兵衛次男、十七歳。八月十五日、越後の左取での戦いで負傷、石間に引き上げる途中で死去。
小松八太郎
こまつ やたろう
寄合二番隊所属。平八郎倅、十六歳。八月十五日、越後の左取での戦いで負傷、石間に引き上げる途中で死去。
星八弥
ほし はちや
寄合一番隊所属。宗助倅、十六歳。八月二十五日、舟渡にて戦死。
岸 彦三郎
きし ひこさぶろう
寄合一番隊所属。熊谷治兵衛門倅(次男とも)、十七歳。九月五日、高寺村窪にて戦死。
黒河内八十記
くろごうち やそき
寄合一番隊所属。彈治従弟、十七歳。舟渡または河沼郡八幡村坂本朝立のいずれかにて戦死。月日不明。
鈴木平助
すずき へいすけ
寄合二番隊所属。家禄六石二人扶持、十七歳。九月一日、朝立にて戦死。
山本太郎
やまもと たろう
寄合二番隊所属。十七歳。鈴木平助と同様、九月一日、朝立にて戦死。
遠藤嘉龍二
えんどう かりゅうじ
寄合一番隊所属。嘉内次男、十五歳。九月十一日、耶麻郡熊倉村での戦いで重傷を負い、十月七日死去。墓は飯盛山のほか、仙台市の充國寺にもあり。
若林八次郎
わかばやし やじろう
寄合一番隊所属。海八次男、十六歳。九月十五日、北会津郡門田村一ノ堰での戦いで戦死。八月中に赤谷で戦死したという説もあり。
鈴木五郎
すずき ごろう
寄合一番隊所属。清吾五男、十六歳。(恐らく一ノ堰での戦いで)負傷し、十一月に北会津郡大戸村雨屋にて死去。墓は飯盛山のほか、長命寺にもあり。
樋口勇四郎
ひぐち ゆうしろう
寄合一番隊所属。家禄七石五斗二人扶持、十六歳。勇次郎とも。九月十一日から十六日の間の戦いで戦死したと思われる。
池田勇太郎
いけだ ゆうたろう
寄合一番隊所属。十七歳。九月十一日から十六日の間の戦いで戦死したと思われる。
好川瀧三郎
よしかわ たきさぶろう
寄合一番隊所属。弥一右衛門次男、十六歳。(恐らく九月十五日の一ノ堰での戦いで)負傷し、九月十六日、北会津郡門田村面川にて死去。
関原繁太郎
せきはら しげたろう
寄合一番隊所属。十七歳。九月十七日(十五日説あり)、戦死。
木村次郎
きむら じろう
寄合一番隊所属。太郎弟、十七歳。九月十七日、戦死。
江川次郎八
えがわ じろはち
寄合一番隊所属。宗之進倅、十七歳。九月十五日または十七日に負傷、面川村にて十七日に死去。
青山重之進
あおやま じゅうのしん
寄合二番隊所属。清之助倅、十七歳。九月十四日、若松市小田垣進撃の際、戦死。
安恵助三郎
やすえ すけさぶろう
寄合二番隊所属。久太郎弟、十六歳。九月十四日、若松市小田垣進撃の際、戦死。
高橋富太郎
たかはし とみたろう
足軽隊所属。順助倅、足軽隊嚮導、十七歳。八月二十三日、城内の不明門にて負傷、二十九日に死去。
小浅安次郎
こあさ やすじろう
足軽隊所属。安右衛門(家禄六石二人扶持)次男、十七歳。八月二十三日(九月十五日説あり)、城中で戦死。
古川深松
ふるかわ ふかまつ
足軽隊所属。深蔵(家禄六石二人扶持)次男、十四歳。八月二十三日博労町自在院にて自刃。大正・昭和まで生きた実兄の証言によると、年齢を十六歳と偽り、白虎隊に入隊した。
森新太郎
もり しんたろう
足軽隊所属。家禄六石二人扶持、十六歳。六月十三日、大平口にて戦死。
椎野恒四郎
しいの つねしろう
足軽隊所属(記録には「恒治叔父、白虎隊」とあるらしいが、『補修 會津白虎隊十九士傳』を信用して、足軽隊とする)。十四歳。九月中に城中にて戦死。彼もまた、年齢を偽って入隊したと思われる。
鈴木久五郎
すずき きゅうごろう
足軽隊所属。家禄六石二人扶持、十六歳。九月、城中で負傷、十月十二日に北会津郡門田村御山で死去。


参考文献: 『補修 會津白虎隊十九士傳』ほか

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