会津藩の武士階級(2) 武家屋敷

 

会津藩の武家屋敷は、藩士の俸禄や役職によって敷地や建物の坪数等が決められていた。
知行取の上士の屋敷は郭内(一部郭外、外小田垣・花畑口、新丁など)にあり、切符取の中士の屋敷は郭外。

下記の表は、屋敷(建物)のみの坪数。
敷地面積は、家老クラスで3000坪以上、上士で450〜900坪。敷地の割りに、慎ましやかな屋敷であったようだ。


知行取
(ちぎょうとり)
1000石以上 城の周辺。本一ノ丁、本二ノ丁、甲賀町通、大町通など。会津入りの際に前代の重臣の屋敷をそのまま受けていた為、広さは一定していない。庭付き。
500〜400石 3間梁に15間、45坪 作料1坪に付き、金3分、33両3分
350〜300石 3間梁に13間、39坪 作料1坪に付き、金3分、29両1分
250〜200石 3間梁に11間、33坪 作料1坪に付き、金3分、24両3分
150〜100石 2間梁に12間、30坪 作料1坪に付き、金3分、22両2分
一般に、間口20間(36メートル)前後、奥行30間(54メートル)前後が多かったようである。
間取りは、小さくとも門と玄関、二間続きの座敷があり、一間には床と違い棚がある。その他、居間と下男下女の部屋、台所、お手洗い、風呂があった。部屋数は、石高によって異なると思われる。
敷地内には菜園があり季節の野菜や果樹を植え、下男達が世話をしていたという。
切符取
(きりふとり)
年割(50〜10石) 間口8間、奥行20間くらい、24坪程度
月割(10石以下) 間口5間、奥行8間くらい 2間梁に4間、8坪
年割の中士達の屋敷にも門(門柱が立っている簡単なもの)があり、敷地内に小菜園を持っていた。

知行取のうち、550石以上1000石未満の資料がなく、掲載できませんでしたm(_ _)m。
高懸りの下士の屋敷は郭外の組屋敷で、物頭の支配下にあって各組に分かれていた。


参考) 400石の日向左衛門(町奉行、住まいは米代三ノ丁)の屋敷の間取り
15畳、10畳、8畳、4畳半、4畳が各1室
6畳が4室
台所、風呂場、若党部屋
召使用の別棟長屋
庭園、菜園(裏庭)
* 日向家には、召使、別当、中間、若党、女中が各1名、馬1頭がいた




参考文献 : 山口孝平編 『近世会津史の研究 上巻』、野口信一 『シリーズ藩物語 会津藩』




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