飯盛山



白虎隊といえば飯盛山は外せませんね。参道を登ると、白虎隊士の墓(正面に自刃十九士、向かって右側に戦死三十一士)、白虎隊士と同年代の少年兵たちの慰霊碑、会津藩殉難烈婦碑、松平容保公弔歌碑などがあり、すぐ近くに飯沼貞雄(貞吉)の墓もあります。そこから少し下ったところに、白虎隊自刃の地があります。



 

(写真左)自刃十九士の墓碑。右からイロハ順に並んでいます。
(写真右)戦死した白虎隊士三十一名の墓碑。全部写っていなくてすみませんm(_ _)m。



 

(写真左)白虎隊以外で戦死した会津藩少年武士の慰霊碑。
(写真右)碑の裏側に、14歳〜17歳の少年の名が刻まれています。



 

(写真左)飯沼貞雄の墓碑。飯盛山で自刃した白虎隊士のうち唯一の生存者であった飯沼貞吉(のち貞雄)の墓碑が、没後26年の昭和32年にこの地に建てられました。此処には遺髪と義歯が埋められています。
(写真右)貞雄の和歌が彫られた顕彰碑。



 

郡上藩からの援軍、凌霜隊の碑。



 

(写真左)戸ノ口堰の洞門。現在は裏参道とかお帰り口とされている参道(白虎隊伝承史学館に面する通りです)から行くと近いです。

(写真右)さざえ堂。国重要文化財。寛政8年(1796)、郁堂和尚がが考案建立したもので、六角3層高さ約16メートル、昇降別々の螺旋形通路により階段がなく、一方通行で上下するという日本唯一、世界にも例のない名建築とされている。(さざえ堂のしおり、山主飯盛本店発行より)



 

白虎隊士自刃の地



 

(写真左)自刃の地から見た若松市内。真ん中付近より左の、こんもりした森の辺りが城です。

(写真右)「まちに歴史あり 〜会津の先人たち〜」シリーズの飯沼貞吉編。これは会津ゆかりの人物を紹介する案内板で、33箇所にあるそうです。古くは蒲生氏郷公から、文化人の竹久夢二まで。松平容保公はじめ、幕末〜明治の人々が多いです。上記写真の右側は白虎隊記念館。

行き方は、ハイカラさんバス停「飯盛山下」から徒歩5分。



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