外伝「ミオ」


  1

 葛城達也はあたしにとって、顔の見えない独裁者だった。
 大好きなパパが、世の中で1番嫌っている人。
 東京中の人たちが、1番怒っていて、怖がっている人。
 東京以外の、日本中の人が、尊敬して頼っている人。
 その葛城達也は、あたしとパパとを引き離した。
 あたしや、サヤカや、その他の女の人たちを人質にして、パパやコロニーの仲間を再び東京に押し込めた。
 パパたちが革命を成功させない限り、あたしたちは誰もコロニーの仲間に会うことはできない。
 サヤカも、大好きなボスに会うことができない。

 顔の見えない独裁者。
 あたしが葛城達也を見たのは、ほんの一瞬だけだった。
 遠目で、スモッグで霞んでいて、とても顔を見られるような状況じゃなかった。
 だから、正直、怖かった。
 今日、葛城達也があたしひとりだけを部屋に呼んでいると聞いたときは。

 その建物は、いかにも頑丈そうで、威厳がある。
 あたしたちが監禁されている部屋は、電子ロック式で、外に出ることはできない。
 あたしが葛城達也と会うことに決めたのは、そうすれば自由に部屋の外を歩いていいと言われたから。
 他の人たちは無理だけど、あたしだけ、特別に出てもいいと言っていたから。
 監禁されている40人のうち、たった1人だけでも外に出られたら、何かが変わるかもしれないと思ったから。
 

  2

「ミオ、気をつけて。絶対に気を許してはだめよ」
 サヤカはあたしを心配してくれる。
 まだ、出会ってほんの少しだったけど、あたしのことを絶対に疑うことのない、強い心を持った親友。
 迎えに来た、パパと同世代の男の人に促されて、あたしはサヤカとの共同部屋を出た。
 ドアの外で、あたしは自分の部屋のカードキーを渡された。
「初めまして。僕はアフルストーンといいます。アフルと呼んでください」
 アフルの声は少しかすれ気味で、でもとてもやさしく響いた。
「外国の人なんですか?」
「よく言われます。でも、僕はれっきとした日本人ですよ。皇帝の配下の者は、皆こんな名前をもっているんです」
 皇帝は、葛城達也のこと。
 葛城達也は今、皇帝を名乗って、日本の支配者におさまっているのだ。
「これから僕があなたのことをお世話します。あなたをミオとお呼びしてもいいですか?」
 どうしてこんな人が葛城達也の言うことをきいているのかしら。
 やさしそうで、頭がよさそうで、とても冷血漢の子分には見えないのに。
「ええ、いいわ。仲良くしましょう」
 アフルは微笑んで、廊下を歩き出した。

 葛城達也の部屋。
 ドアを開けるのが怖かった。
「僕はこれ以上お供できません。どうぞご自分で開けてお入りください」
 アフルはそう言って、あたしを1人にした。
 この部屋のドアはカードキーじゃなかった。
 あたしは、ドアをノックした。
 

  3

「入れ」
 中から聞こえたのは、葛城達也の声だった。
 葛城達也の声は、あたしは絶対に聞き間違えない。
 なぜなら、その声はとてもパパに似ていて、でもパパとはぜんぜん違っていたから。
 ドアを開けると、広い窓の縁に腰掛けた、長身の男の人を見つけたのだ。

 葛城達也。
 パパに似ていて、でも、ぜんぜんパパに似ていない人。
 あたしの心臓はドキドキした。
 パパじゃないのに、この人は、パパが1番嫌いな人なのに。
「ミオか?」
 あたしを見つめて、葛城達也は言った。
「はい、そうです」
 声が震えた。
 今のあたしは、きっと、葛城達也には取るに足らない、本当にちっぽけな女の子に見えたことだろう。
「ここに来い」
「はい」
 窓辺までの距離はとても遠かった。
 あたしは、震える足をしかった。
 こんなことで怯んだら、パパに合わせる顔がないもの。
 近くで見上げると、葛城達也は、あたしのパパにそっくりだった。
 髪の長さ以外、ほとんど違わない。
 綺麗な人。
 

  4

「お前の父親は俺の息子だ。だから、お前は俺の孫になる。どうしてお前だけが特別なのか、判るな」
 外見は、パパとまったく同じに見える。
 パパも他の人よりは若く見える方だけど、葛城達也はあたしのおじいさんなのに、見かけは年の離れたお兄さんみたい。
「はい、判ります」
 葛城達也はあたしを見ていた。
 見られていると恥ずかしくなるくらい、何もかも見通すような強い視線で。
 逆らえば、この人はあたしを殺す。
「俺のことは達也と呼べ。お前の母親もそう呼んでいた」
 そう言って、葛城達也は目を伏せた。
 あたしは、ママのことは知らない。
 知っているのは、ママが葛城達也の養女だったということだけ。
「はい、判りました」
「俺のことは、父親だと思え」
「はい」
「毎日この時間に来い」
「はい、……達也」
 恐る恐るあたしが口にした名前をきいて、達也は驚いたように顔を上げた。
「俺は……お前のことを娘だと思う」

 顔の見えなかった、独裁者葛城達也。
 この人は、人間だ。
「はい、達也」
「俺の事を好きになれ。俺もお前を好きになる」
「はい」
「……名前を呼べ」
「はい、達也」
「……もう帰っていい」
「はい」
 あたしは、達也の部屋を出た。
 

  5

 ドアの外には、アフルが待っていた。
「お帰りなさい、ミオ」
 あたしは半分夢の中にいるみたい。
 達也は人間だった。
 そして、たぶん子供だった。
「皇帝は、あなたを娘だと思っています」
 達也があたしを呼んだのは、たぶん、ただ娘と話をしたかっただけなのだ。
「皇帝には以前2人の養女がありました。その2人を、皇帝は娘として愛せなかったんです。だからあなたを愛したいのだと思います。失ってしまった2人の代わりに、あなたを」
 あたしが、パパの娘だから。
 息子のパパと、養女だったママの娘だから。
「あたしが達也の娘になったら、達也はパパを殺さないでいてくれる?」
「あなたを失わないためなら、あるいは」
「あたし、パパの命を救えるのね」
「彼だけではなく、多くのあなたの仲間も救えます。成長しなさい。頭を使いなさい。ミオ、あなたが皇帝とコロニーの掛け橋になるのですから」
 あたしが、達也とコロニーの掛け橋になる。
 

  6

「アフルは達也の昔の話を知っているの? ママが生きていたころの話」
「ええ、知っています」
「話してくれないかな」
「僕は皇帝のものです。僕に何かをしてほしいとき、話してほしいときは、皇帝に許可をもらってください。許可が下りれば何でもしますから」
 アフルには、自分の意志がないみたいだった。
 たぶん、アフルの意思は達也の意思なんだ。
「達也がいいといえばいいのね」
「許可をもらった、と言って下さればいいですよ」
「監禁されてるみんなの待遇も変えてもらえる?」
「皇帝の許可さえあれば、どんな希望もかなえられます。ここでは皇帝の命令は絶対なのですから」
 あたしが達也と仲良くなれば、コロニーのみんなの役に立てる。
 だけど、みんなは達也のことを嫌いなの。
 あたしも、嫌われるのかもしれない。
 

  7

「……あたしだったら、殺そうとしたかもしれないわね」
 サヤカはあたしの話を聞いて、しばらくの間、何も言わなかった。
 そして、やっとその言葉を搾り出すように言った。
 胸が詰まるような気がした。
「ごめんなさい、サヤカ」
 サヤカは大切な人を失った。
 母親と、命を助けてくれた青年と、大好きなボスとを。
「いいえ。ミオは正しいわ。それに勇気があると思うの。あたしだったら、皇帝なんかと仲良くなろうと思っていること、他の人に絶対に話せないもの」
 あたしと同じ、13歳のサヤカ。
 サヤカに嫌われるかもしれないと思ったのは、あたしがサヤカを見くびっていたってことだった。
 サヤカは頭がよくて、美人で、勇気があってやさしい女の子だったのに。
「ありがとう、サヤカ。あたし、あなたが友達でよかった」
「あたしはいつでもミオの親友になりたいと思っているの。誰がどんなこと言っても、あたしだけはミオの味方になるからね」
 出会ってからまだそんなに経っていなかったけど、あたしの1番の親友はサヤカだった。
 あたしの大切な人。
 

  8

 1日1回、達也のところに行く。
 それが、昨日からのあたしの日課になった。

 ノックをすると、中から「入れ」と声がした。
 ドアを開ける。
 昨日と同じように、達也は窓辺に腰掛けていた。
「近くに来るんだ」
「はい、達也」
 近づくと、窓の外に空が見える。
 窓枠はあたしにはずいぶん高くて、空しか見ることができなかった。
 外を眺めていた達也は、いったん窓から降りて、あたしを抱き上げた。
 びっくりして息が止まった。
 達也の顔を見つめていると、達也はほんの少し笑って、あたしを窓枠に座らせてくれた。
 そのあと、達也は再び窓枠に腰掛けた。

 そこから見る外の風景は、かなり悲惨なものだった。
 瓦礫と焼け野原。
 1年前までは想像することすらできなかった、街の風景。
「これが、俺の国だ」
 1年前の災害で消えてしまった、あたしたちの街。
 復興の指導者として、達也は日本の皇帝になった。
「東京はもっとひどかったわ」
 思わず口に出してしまった。
 東京を隔離した達也には、いやみのように聞こえたかもしれない。
 だけどあたしは、あの東京の風景を忘れることができない。
 達也が隔離した人々が1年もの間暮らしてきた、あの東京を。
「知ってるさ」
 今はパパが暮らしている東京を。
 

  9

「俺はこの国を、いい国にしたい」
 あたしは達也をずっと見つめていた。
 達也が言ういい国って、東京を隔離して、人を監禁するような国なの……?
「ミオ、お前はどんな国がいい国だと思う」
 まるで考えを読まれているみたいだった。
「平和な国、だと思うわ」
 戦争がない国。
 飢えがない国。
 明日の命を心配する必要のない国。
「こうなる前の日本は、平和だった。そう、思うか?」
 あたしはうなずいた。
「20世紀末の日本には、戦争も飢えもなかった。人間は長生きしていた。なあ、ミオ。日本はいい国だったか?」
 あたしは、答えることができなかった。

 いい国って、何?
「飢えて死ぬことは間違っているか?」
 あたしは、達也の考えを理解することができない。
 判らない。いったい何が違うの?
 あたしは、自分で考えたことが本当にあるの?
 

  10

 あたしが自分の考えだと思っているのは、本当は誰の考えたことなの?
「もう帰っていい」
 達也はあたしを窓枠から下ろして、眼窩に広がる瓦礫の街を見つめた。

「アフル、アフルはなぜ達也のそばにいるの?」
 前を歩いていたアフルは、振り返ってあたしの目を見て、答えた。
「あの方が好きだからですよ」
 やさしい、幸せそうな表情を浮かべていた。

 パパに会いたい。
 パパならきっと、あたしの疑問に答えてくれるから。
「まさるが死んだときね、あたし、ものすごく泣いたの」
 サヤカが好きだったまさるのことを、あたしは知らない。
 あたしのパパよりも少し年下くらいで、足の怪我で苦しんで、自殺した。
 すごくやさしい人だったって、サヤカは言ったけど。
「最初はね、まさるが自殺したのが悔しかった。あたしのために生きることより、苦しみから逃げるために死んだんだ、って。でも、時間が経って、今のほうがもっと悔しいと思うの。あたしが子供だったこと」
 涙を見せないけれど、サヤカが泣いていること、あたしにはわかった。
「まさるはいろいろなことをあたしに話したかったと思う。だけど、あたしは子供で判らないから、まさるはあたしに話せなかった。今も、これからも、聞きたいことがたくさんあるのに。……あの時のあたしが今よりずっと大人で、まさるの話すことが理解できてたらよかった。大人だったらよかったの」
 今、パパが死んだら、サヤカと同じようにあたしも後悔するのだろう。
「ミオ、早く大人になろうね」
 

  11

 平和と幸せは違う。
 平和といい国も、少し違う。
 でも、平和じゃない国はいい国じゃない。
 平和な国でも、いい国じゃない国はある。

「アフルは達也の何が好きなの?」
「何が、というのはありません。傍に仕えていることが幸せなだけです。あるとすれば、僕を幸せにしてくれるところ、ということでしょうか」
 幸せ、って、何?

 あたしが達也の部屋を訪れると、必ず窓枠に抱き上げられた。
 この人はいったいどんな人なんだろう。
 どうしてアフルは幸せなんだろう。
「父親が心配か?」
 あたしはうなずいた。
「お前の父親は死なねえ。お前は必ず父親に会える。だから心配するな」
「……本当?」
「約束する」
 人の命なんて判らない。
 達也が約束してくれても、もう1度会えるときまでパパが生きてるかどうかなんて、判らない。
「100パーセント間違いない。俺が死なせはしない」
「達也は、パパを好きなの?」
「あいつのことは判らない。俺は、お前を愛している」
 達也って、どんな人?
 

  12

「……どうして?」
 達也はあまり表情がない。
 笑ったり、もしかしたら怒ったりもするけれど、あたしには達也の表情がわからない。
「お前が、俺の娘だからだ」
「パパは達也の息子だわ」
「あいつは、俺を殺せない」
 あたしは、何も知らない。
 達也の言うことが理解できない。
 たぶん、あたしは達也と会話できるレベルの人間じゃないんだ。
 あたしが大人になれば、達也の言うことが理解できるようになるのかしら。
「ごめんなさい。達也の言っていることが判らない。ヒントだけでも、教えて」
 あたしが言うと、達也は笑った。
「俺は、お前が俺の娘だから愛している。あいつが俺の息子なら、俺はあいつを愛するだろう。だけど、あいつは俺を殺そうとしている。俺を殺せるだけの力があれば、俺はあいつを愛する。あいつには、俺を殺せるだけの力がねえんだ」
 達也は、死にたいの?
 なぜ?
「パパは中途半端なの?」
「ああ、そういうことかな」
「達也を殺せる人を、達也は好きになるの?」
「俺を殺せる人間には価値がある。ミオ、お前は俺を殺せるか?」
 殺せない。
 心の中で、あたしは即答していた。
 

  13

「ミオ、お前は、俺を殺せる人間になれ」
 達也を殺せる人間になることは、価値のある人間になること。
「はい、達也」
 パパにできないことが、あたしにできるのだろうか。

「アフル、どうして達也は死にたいの?」
「普通の人が不老不死の薬を手に入れたいと願うのと、同じ理由だと思いますよ」
 人間が不老不死でいることは、ぜったいにありえない。
「達也は、死ねないの?」

 達也と話していると、疑問ばかりがたまってゆく。

「ミオは葛城達也を殺したいと思うの?」
「サヤカは?」
「できることなら殺したいわ。まさるを殺したのは、葛城達也だもの」
「あたしは、わからない」
 達也を好きになると約束した。
 達也を殺せる人間になると約束した。
 どうして、好きな人を殺さなければならないの?
「葛城達也を好きなの?」
 あたしはもう1度、同じ言葉で答えることしか、できなかった。
 

  14

 人を好きになるって、どういうこと?
 あたしはパパを好き。
 あたしはサヤカを好き。
 アフルのことは、たぶん好きになれる。
 達也は……わからない。

 達也のことがわかったら、あたしは達也を好きになれる?
 でも、あたしはパパのことをよく知らない。
 出会ったばかりのサヤカのことも、全部知らない。
 知らない人を好きになることもできる。

「達也、パパの事を教えてくれる?」
 パパのことを話すと、達也はいつも、少しだけ不機嫌になる。
「俺はあいつのことを知らねえ。俺が知ってるあいつは、型にはまった正義感を振り回す子供だ」
 あたしには、達也の方が子供に見えるのに。
「アフルに聞いてもいい? パパのことと、ママのこと」
「何でも聞くといい」
 その時初めて、達也はあたしを抱きしめた。

 心臓が止まりそうだった。
「俺は、ミオを愛している」
 耳元で達也がつぶやく。
 声が、すごく切ない。
「俺の娘だ」
 2つだけ、わかった。

 人を好きになることと、その人を知っていることは関係ない。
 知らない人を好きになることもある。

 そして、自分を好きになってくれる人を、好きになる。
 

  15

 あたしは、達也を好きになれる。

「あたしは、達也の娘なの?」
 本当は怖かった。
 だって、あたしは達也のこと、あまりに知らなかったから。
「どうして?」
 あたしの頭をなでながら、達也は言った。
「お前が、お前の母親の娘だからだ」

 達也はもしかしたら、女性としてのママを愛していたのかもしれない。
 だけど、今のあたしには、たぶんわからないこと。
「あたしのパパはパパだけだわ。……でも、達也のことも、パパだと思うわ」
 達也は、あたしを見て、まるで子供のように笑った。

 その笑顔は、ほんの少しだけ、パパに似ていた。
 



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