1
葛城達也はあたしにとって、顔の見えない独裁者だった。 2
「ミオ、気をつけて。絶対に気を許してはだめよ」 3
「入れ」 4
「お前の父親は俺の息子だ。だから、お前は俺の孫になる。どうしてお前だけが特別なのか、判るな」 5
ドアの外には、アフルが待っていた。 6
「アフルは達也の昔の話を知っているの? ママが生きていたころの話」 7
「……あたしだったら、殺そうとしたかもしれないわね」 8
1日1回、達也のところに行く。 9
「俺はこの国を、いい国にしたい」 10
あたしが自分の考えだと思っているのは、本当は誰の考えたことなの? 11
平和と幸せは違う。 12
「……どうして?」 13
「ミオ、お前は、俺を殺せる人間になれ」 14
人を好きになるって、どういうこと? 15
あたしは、達也を好きになれる。
大好きなパパが、世の中で1番嫌っている人。
東京中の人たちが、1番怒っていて、怖がっている人。
東京以外の、日本中の人が、尊敬して頼っている人。
その葛城達也は、あたしとパパとを引き離した。
あたしや、サヤカや、その他の女の人たちを人質にして、パパやコロニーの仲間を再び東京に押し込めた。
パパたちが革命を成功させない限り、あたしたちは誰もコロニーの仲間に会うことはできない。
サヤカも、大好きなボスに会うことができない。
顔の見えない独裁者。
あたしが葛城達也を見たのは、ほんの一瞬だけだった。
遠目で、スモッグで霞んでいて、とても顔を見られるような状況じゃなかった。
だから、正直、怖かった。
今日、葛城達也があたしひとりだけを部屋に呼んでいると聞いたときは。
その建物は、いかにも頑丈そうで、威厳がある。
あたしたちが監禁されている部屋は、電子ロック式で、外に出ることはできない。
あたしが葛城達也と会うことに決めたのは、そうすれば自由に部屋の外を歩いていいと言われたから。
他の人たちは無理だけど、あたしだけ、特別に出てもいいと言っていたから。
監禁されている40人のうち、たった1人だけでも外に出られたら、何かが変わるかもしれないと思ったから。
サヤカはあたしを心配してくれる。
まだ、出会ってほんの少しだったけど、あたしのことを絶対に疑うことのない、強い心を持った親友。
迎えに来た、パパと同世代の男の人に促されて、あたしはサヤカとの共同部屋を出た。
ドアの外で、あたしは自分の部屋のカードキーを渡された。
「初めまして。僕はアフルストーンといいます。アフルと呼んでください」
アフルの声は少しかすれ気味で、でもとてもやさしく響いた。
「外国の人なんですか?」
「よく言われます。でも、僕はれっきとした日本人ですよ。皇帝の配下の者は、皆こんな名前をもっているんです」
皇帝は、葛城達也のこと。
葛城達也は今、皇帝を名乗って、日本の支配者におさまっているのだ。
「これから僕があなたのことをお世話します。あなたをミオとお呼びしてもいいですか?」
どうしてこんな人が葛城達也の言うことをきいているのかしら。
やさしそうで、頭がよさそうで、とても冷血漢の子分には見えないのに。
「ええ、いいわ。仲良くしましょう」
アフルは微笑んで、廊下を歩き出した。
葛城達也の部屋。
ドアを開けるのが怖かった。
「僕はこれ以上お供できません。どうぞご自分で開けてお入りください」
アフルはそう言って、あたしを1人にした。
この部屋のドアはカードキーじゃなかった。
あたしは、ドアをノックした。
中から聞こえたのは、葛城達也の声だった。
葛城達也の声は、あたしは絶対に聞き間違えない。
なぜなら、その声はとてもパパに似ていて、でもパパとはぜんぜん違っていたから。
ドアを開けると、広い窓の縁に腰掛けた、長身の男の人を見つけたのだ。
葛城達也。
パパに似ていて、でも、ぜんぜんパパに似ていない人。
あたしの心臓はドキドキした。
パパじゃないのに、この人は、パパが1番嫌いな人なのに。
「ミオか?」
あたしを見つめて、葛城達也は言った。
「はい、そうです」
声が震えた。
今のあたしは、きっと、葛城達也には取るに足らない、本当にちっぽけな女の子に見えたことだろう。
「ここに来い」
「はい」
窓辺までの距離はとても遠かった。
あたしは、震える足をしかった。
こんなことで怯んだら、パパに合わせる顔がないもの。
近くで見上げると、葛城達也は、あたしのパパにそっくりだった。
髪の長さ以外、ほとんど違わない。
綺麗な人。
外見は、パパとまったく同じに見える。
パパも他の人よりは若く見える方だけど、葛城達也はあたしのおじいさんなのに、見かけは年の離れたお兄さんみたい。
「はい、判ります」
葛城達也はあたしを見ていた。
見られていると恥ずかしくなるくらい、何もかも見通すような強い視線で。
逆らえば、この人はあたしを殺す。
「俺のことは達也と呼べ。お前の母親もそう呼んでいた」
そう言って、葛城達也は目を伏せた。
あたしは、ママのことは知らない。
知っているのは、ママが葛城達也の養女だったということだけ。
「はい、判りました」
「俺のことは、父親だと思え」
「はい」
「毎日この時間に来い」
「はい、……達也」
恐る恐るあたしが口にした名前をきいて、達也は驚いたように顔を上げた。
「俺は……お前のことを娘だと思う」
顔の見えなかった、独裁者葛城達也。
この人は、人間だ。
「はい、達也」
「俺の事を好きになれ。俺もお前を好きになる」
「はい」
「……名前を呼べ」
「はい、達也」
「……もう帰っていい」
「はい」
あたしは、達也の部屋を出た。
「お帰りなさい、ミオ」
あたしは半分夢の中にいるみたい。
達也は人間だった。
そして、たぶん子供だった。
「皇帝は、あなたを娘だと思っています」
達也があたしを呼んだのは、たぶん、ただ娘と話をしたかっただけなのだ。
「皇帝には以前2人の養女がありました。その2人を、皇帝は娘として愛せなかったんです。だからあなたを愛したいのだと思います。失ってしまった2人の代わりに、あなたを」
あたしが、パパの娘だから。
息子のパパと、養女だったママの娘だから。
「あたしが達也の娘になったら、達也はパパを殺さないでいてくれる?」
「あなたを失わないためなら、あるいは」
「あたし、パパの命を救えるのね」
「彼だけではなく、多くのあなたの仲間も救えます。成長しなさい。頭を使いなさい。ミオ、あなたが皇帝とコロニーの掛け橋になるのですから」
あたしが、達也とコロニーの掛け橋になる。
「ええ、知っています」
「話してくれないかな」
「僕は皇帝のものです。僕に何かをしてほしいとき、話してほしいときは、皇帝に許可をもらってください。許可が下りれば何でもしますから」
アフルには、自分の意志がないみたいだった。
たぶん、アフルの意思は達也の意思なんだ。
「達也がいいといえばいいのね」
「許可をもらった、と言って下さればいいですよ」
「監禁されてるみんなの待遇も変えてもらえる?」
「皇帝の許可さえあれば、どんな希望もかなえられます。ここでは皇帝の命令は絶対なのですから」
あたしが達也と仲良くなれば、コロニーのみんなの役に立てる。
だけど、みんなは達也のことを嫌いなの。
あたしも、嫌われるのかもしれない。
サヤカはあたしの話を聞いて、しばらくの間、何も言わなかった。
そして、やっとその言葉を搾り出すように言った。
胸が詰まるような気がした。
「ごめんなさい、サヤカ」
サヤカは大切な人を失った。
母親と、命を助けてくれた青年と、大好きなボスとを。
「いいえ。ミオは正しいわ。それに勇気があると思うの。あたしだったら、皇帝なんかと仲良くなろうと思っていること、他の人に絶対に話せないもの」
あたしと同じ、13歳のサヤカ。
サヤカに嫌われるかもしれないと思ったのは、あたしがサヤカを見くびっていたってことだった。
サヤカは頭がよくて、美人で、勇気があってやさしい女の子だったのに。
「ありがとう、サヤカ。あたし、あなたが友達でよかった」
「あたしはいつでもミオの親友になりたいと思っているの。誰がどんなこと言っても、あたしだけはミオの味方になるからね」
出会ってからまだそんなに経っていなかったけど、あたしの1番の親友はサヤカだった。
あたしの大切な人。
それが、昨日からのあたしの日課になった。
ノックをすると、中から「入れ」と声がした。
ドアを開ける。
昨日と同じように、達也は窓辺に腰掛けていた。
「近くに来るんだ」
「はい、達也」
近づくと、窓の外に空が見える。
窓枠はあたしにはずいぶん高くて、空しか見ることができなかった。
外を眺めていた達也は、いったん窓から降りて、あたしを抱き上げた。
びっくりして息が止まった。
達也の顔を見つめていると、達也はほんの少し笑って、あたしを窓枠に座らせてくれた。
そのあと、達也は再び窓枠に腰掛けた。
そこから見る外の風景は、かなり悲惨なものだった。
瓦礫と焼け野原。
1年前までは想像することすらできなかった、街の風景。
「これが、俺の国だ」
1年前の災害で消えてしまった、あたしたちの街。
復興の指導者として、達也は日本の皇帝になった。
「東京はもっとひどかったわ」
思わず口に出してしまった。
東京を隔離した達也には、いやみのように聞こえたかもしれない。
だけどあたしは、あの東京の風景を忘れることができない。
達也が隔離した人々が1年もの間暮らしてきた、あの東京を。
「知ってるさ」
今はパパが暮らしている東京を。
あたしは達也をずっと見つめていた。
達也が言ういい国って、東京を隔離して、人を監禁するような国なの……?
「ミオ、お前はどんな国がいい国だと思う」
まるで考えを読まれているみたいだった。
「平和な国、だと思うわ」
戦争がない国。
飢えがない国。
明日の命を心配する必要のない国。
「こうなる前の日本は、平和だった。そう、思うか?」
あたしはうなずいた。
「20世紀末の日本には、戦争も飢えもなかった。人間は長生きしていた。なあ、ミオ。日本はいい国だったか?」
あたしは、答えることができなかった。
いい国って、何?
「飢えて死ぬことは間違っているか?」
あたしは、達也の考えを理解することができない。
判らない。いったい何が違うの?
あたしは、自分で考えたことが本当にあるの?
「もう帰っていい」
達也はあたしを窓枠から下ろして、眼窩に広がる瓦礫の街を見つめた。
「アフル、アフルはなぜ達也のそばにいるの?」
前を歩いていたアフルは、振り返ってあたしの目を見て、答えた。
「あの方が好きだからですよ」
やさしい、幸せそうな表情を浮かべていた。
パパに会いたい。
パパならきっと、あたしの疑問に答えてくれるから。
「まさるが死んだときね、あたし、ものすごく泣いたの」
サヤカが好きだったまさるのことを、あたしは知らない。
あたしのパパよりも少し年下くらいで、足の怪我で苦しんで、自殺した。
すごくやさしい人だったって、サヤカは言ったけど。
「最初はね、まさるが自殺したのが悔しかった。あたしのために生きることより、苦しみから逃げるために死んだんだ、って。でも、時間が経って、今のほうがもっと悔しいと思うの。あたしが子供だったこと」
涙を見せないけれど、サヤカが泣いていること、あたしにはわかった。
「まさるはいろいろなことをあたしに話したかったと思う。だけど、あたしは子供で判らないから、まさるはあたしに話せなかった。今も、これからも、聞きたいことがたくさんあるのに。……あの時のあたしが今よりずっと大人で、まさるの話すことが理解できてたらよかった。大人だったらよかったの」
今、パパが死んだら、サヤカと同じようにあたしも後悔するのだろう。
「ミオ、早く大人になろうね」
平和といい国も、少し違う。
でも、平和じゃない国はいい国じゃない。
平和な国でも、いい国じゃない国はある。
「アフルは達也の何が好きなの?」
「何が、というのはありません。傍に仕えていることが幸せなだけです。あるとすれば、僕を幸せにしてくれるところ、ということでしょうか」
幸せ、って、何?
あたしが達也の部屋を訪れると、必ず窓枠に抱き上げられた。
この人はいったいどんな人なんだろう。
どうしてアフルは幸せなんだろう。
「父親が心配か?」
あたしはうなずいた。
「お前の父親は死なねえ。お前は必ず父親に会える。だから心配するな」
「……本当?」
「約束する」
人の命なんて判らない。
達也が約束してくれても、もう1度会えるときまでパパが生きてるかどうかなんて、判らない。
「100パーセント間違いない。俺が死なせはしない」
「達也は、パパを好きなの?」
「あいつのことは判らない。俺は、お前を愛している」
達也って、どんな人?
達也はあまり表情がない。
笑ったり、もしかしたら怒ったりもするけれど、あたしには達也の表情がわからない。
「お前が、俺の娘だからだ」
「パパは達也の息子だわ」
「あいつは、俺を殺せない」
あたしは、何も知らない。
達也の言うことが理解できない。
たぶん、あたしは達也と会話できるレベルの人間じゃないんだ。
あたしが大人になれば、達也の言うことが理解できるようになるのかしら。
「ごめんなさい。達也の言っていることが判らない。ヒントだけでも、教えて」
あたしが言うと、達也は笑った。
「俺は、お前が俺の娘だから愛している。あいつが俺の息子なら、俺はあいつを愛するだろう。だけど、あいつは俺を殺そうとしている。俺を殺せるだけの力があれば、俺はあいつを愛する。あいつには、俺を殺せるだけの力がねえんだ」
達也は、死にたいの?
なぜ?
「パパは中途半端なの?」
「ああ、そういうことかな」
「達也を殺せる人を、達也は好きになるの?」
「俺を殺せる人間には価値がある。ミオ、お前は俺を殺せるか?」
殺せない。
心の中で、あたしは即答していた。
達也を殺せる人間になることは、価値のある人間になること。
「はい、達也」
パパにできないことが、あたしにできるのだろうか。
「アフル、どうして達也は死にたいの?」
「普通の人が不老不死の薬を手に入れたいと願うのと、同じ理由だと思いますよ」
人間が不老不死でいることは、ぜったいにありえない。
「達也は、死ねないの?」
達也と話していると、疑問ばかりがたまってゆく。
「ミオは葛城達也を殺したいと思うの?」
「サヤカは?」
「できることなら殺したいわ。まさるを殺したのは、葛城達也だもの」
「あたしは、わからない」
達也を好きになると約束した。
達也を殺せる人間になると約束した。
どうして、好きな人を殺さなければならないの?
「葛城達也を好きなの?」
あたしはもう1度、同じ言葉で答えることしか、できなかった。
あたしはパパを好き。
あたしはサヤカを好き。
アフルのことは、たぶん好きになれる。
達也は……わからない。
達也のことがわかったら、あたしは達也を好きになれる?
でも、あたしはパパのことをよく知らない。
出会ったばかりのサヤカのことも、全部知らない。
知らない人を好きになることもできる。
「達也、パパの事を教えてくれる?」
パパのことを話すと、達也はいつも、少しだけ不機嫌になる。
「俺はあいつのことを知らねえ。俺が知ってるあいつは、型にはまった正義感を振り回す子供だ」
あたしには、達也の方が子供に見えるのに。
「アフルに聞いてもいい? パパのことと、ママのこと」
「何でも聞くといい」
その時初めて、達也はあたしを抱きしめた。
心臓が止まりそうだった。
「俺は、ミオを愛している」
耳元で達也がつぶやく。
声が、すごく切ない。
「俺の娘だ」
2つだけ、わかった。
人を好きになることと、その人を知っていることは関係ない。
知らない人を好きになることもある。
そして、自分を好きになってくれる人を、好きになる。
「あたしは、達也の娘なの?」
本当は怖かった。
だって、あたしは達也のこと、あまりに知らなかったから。
「どうして?」
あたしの頭をなでながら、達也は言った。
「お前が、お前の母親の娘だからだ」
達也はもしかしたら、女性としてのママを愛していたのかもしれない。
だけど、今のあたしには、たぶんわからないこと。
「あたしのパパはパパだけだわ。……でも、達也のことも、パパだと思うわ」
達也は、あたしを見て、まるで子供のように笑った。
その笑顔は、ほんの少しだけ、パパに似ていた。