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          ゲバラ笹部の「元古書店主の漂流日記」
                  2008年7月、8月 
連載532回

2008年8月29日

 久しぶりに古い日本映画を観た。最近、このジャンルとはゴブサタだったが、ちょっと観てみたい映画があった。それは「隣の八重ちゃん '34 監督/島津保次郎」という映画だ。
 この映画は島津保次郎の代表作と言われる映画で、その年のキネ旬では2位になっている。松竹蒲田の〈小市民映画〉の黄金時代の作品だ。小津安二郎の「生れてはみたけれど」、清水宏の「人生のお荷物」、成瀬巳喜男の「腰弁頑張れ」などが、都市サラリーマンの日常生活をソフトに、そして少々ペシミスティックに描いていた。その代表選手が島津保次郎ということになっているのだが、私は今まで島津保次郎の映画を観たことがなかった。
 ストーリーは単純だ。隣り合った2軒の平凡な庶民の生活スケッチが淡々と綴られる。女学生の八重子(逢初夢子)は、父と母(飯田蝶子)と郊外の家で三人暮らし。お隣の家とは家族ぐるみの付き合いをしていて、特に帝大生の長男・恵太郎(大日向傳)と仲が良かった。ある日、姉の京子(岡田嘉子)が嫁ぎ先から帰ってきて、恵太郎に興味を示すので、八重子は気が気でなく……。
 いつも微笑をたたえる恵太郎と、茶目っ気と娘心の交錯する八重子を軸に、なにげない会話の連続がかもし出すハートウォームな日常描写がとてもいい。
 着物の首に手拭いをひっかけた恵太郎と、スカートに下駄、洗面器を持った八重子が郊外の土の道をブラブラゆく。
 「あ、親父さんが帰ってきた」
 道の向こうから勤めを終えた恵太郎の父が鞄をさげ帰ってきた。
 「おじさん大分腰がまがってきたわね」
 「淋しいこと言うなよ」
 「だって本当だもん」
 「お帰りなさい」
 「お帰りあそばせ」
 「おう、お湯かい。俺もあとから行く」
 「兄さん、待ってよー」
 弟の呼ぶ声に振向くと、カメラはのどかに道をゆく二人の後ろ姿のロングショットに切りかわり、走ってゆく弟が加わって兄は弟の肩に手をやり、三人はゆっくり遠ざかる。
 このどうということもないが充実した場面に、私は自分も知っていた幸福感を思い出した。映画はもっぱら二軒の家に終始し、幸福の原型を一層ふくよかに感じる。登場人物も二軒の家族以外は八重子の友達とガラス屋の小僧だけだ。
 「隣の八重ちゃん」は日常生活を極力自然に描いた画期的作品として映画史に特筆される、と本で読んだことがある。そう書かれるだけのみずみずしさは素晴らしく、かつての日々への郷愁が胸をしめつける。古い映画には失われた幸福が残っている。
                                   
         
連載531回

2008年8月22日

 今週の朝日新聞に、小学生アンケートで、「スイカに塩をかけるか」、というのがあって、塩をかけるのはかなり少数派という結果がでていた。
 しかし、あれはイイ。スイカにパパパッと塩をかけて、かぶりつく。スイカの甘味と、ほんのり塩が混じりあったときの舌触りというのは、悪くない。グルメ的にみても、なかなかの味覚だと思うんだけど。

 高校野球、オリンピック、プロ野球と色々なスポーツが展開されている夏。そんな様々なスポーツが観られるなか、「ヴィッセル神戸×名古屋グランパス」のゲームを観戦しに行ってきた。
 私はJリーグではガンバ大阪のファンである。だから、ヴィッセルなんて、大久保、レアンドロ、金ぐらいしか選手の名前を知らない。グランパスも同様で、玉田、楢崎、ヨンセンぐらいしか選手を知らない(監督のピクシーが一番有名だった)。そんな私が、なぜ「ヴィッセル神戸×名古屋グランパス」なんてゲームを観に行ったのか? まして、前述したように多様なスポーツ観戦ができる今年の夏に、こんなマイナー(失礼)なゲームを観に行ったのか。
 それは<ウィング・スタジアム>に一度行ってみたかったからだ。職場のF君が以前から、「<ウィング・スタジアム>はいいですよ。一度は行くべきですよ」、と熱心に語っていて、「そうか、そんなにいいスタジアムなのか」と思っていたのだが、その言葉に刺激されたS君が、「一緒に行きましょうよ!」と熱心に誘ってくれて、結局K君も誘って三人で行くことになった。
 F君の話どおりいいスタジアムでした。だいたい、サッカー専用スタジアム(厳密にはラグビー兼用)でゲームを観るのがはじめてだった。
 普通は陸上競技場でサッカーのゲームをする。観客席とフィールドの間には陸上競技のトラックがある。だからどうしてもフィールドまでは遠いことになる。しかし、専用スタジアムだとトラックがないぶん間近でサッカーのゲームが観られる。これは迫力がある。席が6列目ということもあって、より迫力があった。勢いよく蹴られたボールが観客席にとびこんでくるのも再三だ。プレーが間近で観られるのは楽しいし、見ごたえがある。すっかりと<ウィング・スタジアム>のファンになってしまった。
 ゲームが終わって帰りには三人ともが<ウィング・スタジアム>のファンになっていて、S君なんかは「今度はいつ行きましょう?」と言い出す。ガンバも、エキスポ・ランド跡地に専用スタジアムを造りたいらしいが、それが出来るまではヴィッセルのファンになりましょうか、とまで言う始末。
 またヴィッセルのファンがアツい。選手入場前には、『神戸賛歌(「愛の賛歌」の替え歌)』というのを歌って選手を迎える(三人とも、ファンでもないのに歌っちゃいました。楽しまなくっちゃネ)。ひとつひとつのプレーにも声援がすごい。ガンバの万博陸上競技場なんかとちがって、屋根があるから声援も響き、よけいアツくなっちゃう。ちょっとクセになりそうですよ。
 また行きたいけど、最近負けがこんでいるガンバも気になるし。S君は、「来月、またサッカーを観に行きましょう」と誘ってくれるけど、どうしようかな。
                                 
   
連載530回

2008年8月15日

 口にだして言っても仕方がないとは思うが、でも思わず口に出ちゃう。「暑いッ!」と。
 毎年言っているような気もするが、でもやっぱり、「今年の夏は暑いッ!」と言いたくなっちゃう。いったい、日本はいつから亜熱帯になったんだ。

 私の職場には大型冷蔵庫がある。ということで、仕事のちょっとした空き時間を利用しては冷蔵庫で涼む人がけっこういる。当然、私もしている。
 この前、サボリではなくて仕事で冷蔵庫にはいると、K君が涼をとっていた。私と目があうと、「油を売っています」と笑いながら言った。
 私は、この『油を売る』という言い回しがなんだか古臭く思え、そういう言い方を若いK君がしたことに違和感をおぼえた。どっちかというと死語に近いような感じがしたのだけど、K君なんかが使うことを思うと死語でもないのか。
 少し前に、これと似たような感じをおぼえたことがあった。それはTVのニュースで海水浴風景をとらえて、「甲羅干しする若者たちが・・・・・」とアナウンサーが言ったときだ。「甲羅干し」って。
 漢字で書けばわかるだろうが、人の背中をカメの甲羅にたとえた表現である。この言い回しは、少なくとも私の子供時代から変わっていないような気がする。
 たしかに私の子供時代は、日光浴のことを「甲羅干し」と表する若者が、青春映画やドラマのなかにも登場していた。しかしいま甲羅干しと言って、若い層の何人がピンとくるのであろう。ヘタをすると「コーラ干し」、何かコーラを肌に塗りたくって焼いたりする図を思い浮かべていた人もいるんじゃないだろうか?
 「肌にヤキを入れる」では、さすがに表現としてはまずいかもしれないが、せいぜい日光浴か日焼けをたのしむ、くらいが妥当なのではないだろうか。
 あと、「バーベキューをたのしむグループは、サザエの壷焼きに舌鼓を打ち・・・・・」というのがあった。
 舌鼓=したづつみ、とも言うが、「したつづみ」が正確な読みのようだ。無意識に聞き流してはいるが、辞書の意味には「おいしい物を味わったときに鳴らす舌の音」などとある。
 これも考えてみれば、おかしな意味合いである。おいしいものを食べたときに、チャッチャカ舌を鳴らすのか。ま、鳴らしてもいいけれど、何か下品な感じがしないでもない。「ぺちゃぺちゃ音をたてて、食べるな!」と、子供の頃よく注意されたものだ。
 人の背中を甲羅にたとえる、舌を鼓にたとえる。確かに工夫のある楽しい表現ではあるのだが。
 そういえば、「芋を洗うような混雑」なんて表現もどうなんだろう。もう死語のような気もするのだが。

      
連載529回

2008年8月8日

 高校野球の季節がやってきた。私の職場でも人気が高く、甲子園まで見にいく人もけっこう多くて、あまり興味のない私なんか、その入れ込みようが不思議でしかたがない。そんな季節に、色々と問題のあるオリンピックがいよいよ始まる。これもあまり興味はないが、野球、サッカー、マラソンなんかは見るだろうな(サッカーは、男子、女子ともすでに見ています)。
 オリンピックは問題が多すぎて、「もう、やめたら」と言いたくなっちゃうけど、かってはオリンピックに心をときめかしていた頃があった。そう、私が子供の頃にあった『東京オリンピック』がそれだ。半月ほど前に、映画「東京オリンピック」を放映していてつい見ちゃったけど、あの映画はやっぱりオモロイわ。
 あの頃のオリンピックにはテロなんてなかった。そしてまだその頃は、〈オリンピックは政治の道具だ〉などという考えが、この世に存在しているなど、夢にも、思わなかった。
 昭和30年代の日本人は変にさめたりしないから、もう全力でオリンピックを盛り上げた。
 「五輪まであと○日」などと、共産国の五ヵ年計画ばりのスローガンのもとに、三波春夫の♪あの日ローマで〜 と東京五輪音頭を歌い、踊った。
 当時のテレビはもちろん白黒だった。モノクロの星条旗が、連日のように上がり、あの年の、あの時ほど、アメリカ国家を、聞いたことはなかった。とりわけ、水泳におけるアメリカ選手は、滅法強く、自由型のショランダーなどは、こ憎らしいばかりだった。
 重量挙げという競技の面白さを知ったのも、東京オリンピックだった。
 あのバーベルを前にして、落ち着かない選手たちの心理状態が、モロに伝わってきて、それまでの、大ざっぱな、馬鹿力だけの世界と思っていたこの競技が、実は、大変デリケートで、見ている者に、極端に、感情移入を強いるスポーツであることを知った。
 三宅義信選手が、バーベルを持ち上げる瞬間は、テレビで観ていた日本中の人間が、おそらく、全員三宅選手になっていたのではあるまいか。
 陸上百メートルのヘイズの快走にド胆を抜かれ、1万メートルのミルズの不屈さに感服し、柔道のヘーシンクの強さにウンザリし、レスリングのアニマル渡辺の強さにウットリし、チャスラフスカのふくらみにボーとなったりと、ともかくも忙しかった。
 アベベ選手の快走と、国立競技場に入ったところで、イギリスのヒートリーに抜かれてしまった円谷選手の、なんとなくかわいそうな印象を最後に、すべてのオリンピックの競技は終了した。
 そして、あのマグレのような、感動的な閉会式。いつまでも手を振る選手や、スタンドに揺れる白いハンカチ。そして、夕闇の降り立つ国立競技場の電光掲示板に浮かんだSAYONARAの文字に、胸がいっぱいになり、意味もなく、ガンバロウと思ったものだった。
 いやいや、純情なものだった。
                                
      
          各社競作で三橋美智也も歌っていた「東京五輪音頭」
連載528回

2008年8月2日

 毎年、この季節になると草むしりである。なるべく涼しいうちにしてはいるのだが、それでも汗が吹き出てくる。ある程度ムシってきれいになったと思っても、しばらくすると、もう草が伸びている。草の成長は早いゾゥ。もうイヤになっちゃう。

 世は夏休み。私の中学時代、この季節には林間学校というものがあった。たしか能勢のキャンプ場に行ったと思う。私がガキンチョの頃は、だいたいキャンプというと能勢の一庫だった。小、中学と、学校行事、個人的にと何回行ったことだろう。
 子供のころの私はキャンプが好きだった。青い空に白い雲、森には鳥の鳴き声がチュンチュク、焚き火がボーボー、今日も元気だゴハンがおいしいぞ、っと、何ともジャンボリーな図式を頭の中に成立させてしまう。
 夜は広場でキャンプファイヤーが催された。煌々と燃えるオレンジの炎。
 ♪燃〜えろよ 燃えろ〜よ 炎よ 燃えろ〜 なんていう、おなじみのキャンプファイヤーソングを知ったのもこの時だった。ほかにも「山賊の歌」なんてのもあったっけ。
 高校時代には臨海学校というものがあった。学校行事の海水浴はあまり楽しくなかったが、私はキャンプも好きだが、海も好きだった。能登方面(だったと思う)の海辺へキャンプに行ったこともある。
 七月の浜辺は楽しい。太陽ギラギラ、砂アッチッチ、波ガバガバ、氷いちごシャキシャキ、水着の女性がムレムレ、ってなもんである。この擬音を聞いただけでも、んもう楽しさに満ちている。
 今の海の遊びはスゴイ。サーフィンは言うに及ばず、ジェットスキーだのヨットだのクルーザーだのパラセールだのと、一昔前なら考えられなかった遊びが、どうだどうだと言わんばかりに目白押しである。私が学生だった頃は、ちょうどサーフィンが流行り始めたばかりの時期だったが、そう簡単に手を出せるほど安価な遊びではなかったと思う。若大将はすでにサーフィンをやっていたが、夢の世界の話だった。
 しかしそれでも七月の浜辺は、それなりに楽しませてくれた。ただぼんやり寝ころがって、体を焼くだけでも楽しい。それが浜辺の良いところである。
 そういえば、私が少年だった頃は、夏になると必ずラジオからクリフ・リチャードの「サマーホリディ」が聞こえてきたもんだ。梅雨も明けて、陽射しが一気に眩しくかんじられ始める頃。さぁ、夏休みの始まりだ。
 「サマーホリディ」が聞こえると、心はいつしか海へと飛んでしまう。そしてパーシー・フェイスの「避暑地の出来事」が流れ、ビーチ・ボーイズの「サーファー・ガール」を耳にすると夏休みも佳境に入る、というわけだ。
 ジャンニ・モランディの「サンライト・ツイスト」というのもいいかもしんない。そして夜は、コニー・フランシスの「ボーイ・ハント」か荒木一郎の「空に星があるように」で決まりだね。
                              
     
           キャンプファイヤーに興じるピーター、ポール&マリー
連載527回

2008年7月25日

 夏は果実が美味しいなぁ。西瓜や白桃、ちょっと贅沢にメロンとマンゴ。スーパーに買い物に行くと、ついつい何らかの果実を買ってしまう今日この頃であります。

 先週にチョットだけ触れたミニスカートの話の続きを。
 ♪ミニミニスカートでェ 歩いていたら〜 1966年頃に山本リンダが歌っていた「ミニミニ・デート」という曲である。ま、そういうわけで、ミニスカートというものがわが国で流行しはじめるのは、その頃からである。トウィッギーの来日でそのブームは決定的なものとなった。
 私にとっての最初のミニスカート・アイドル、というと、やはり小川ローザだろうか。彼女の丸善石油のあのCMは大ヒットした。私の中学でも、白いミニワンピースのスカートがペロッとめくれているポーズのステッカーが大流行し、ほとんどの男子が下敷きに貼っていたように思う(しかし、いま思うと、あのステッカーは一体どこから手に入れたのだろうか? 思い出せません)。
 このミニスカートの流行も、72年頃になるとそろそろ下り坂になってくる。女子大生やOLはマキシやパンタロンに移行し、ミニは、麻丘めぐみやアグネス・チャンに代表されるようなアイドルの「ミニ+ハイソックス」のスタイルとして定着していく。
 このアイドル系を〈清純なミニ〉系列とすると、もう一方で、少し〈不純なミニ〉系列というのがあった。早い話「プレイガール」のお姐さんたちとか、「平凡パンチoh!」の巻頭グラビアで、膝上20センチのミニをはいて悩ましく足を組み、お尻ギリギリのところまで見えた池島ルリ子とか、渥美マリとか。
 ミニスカ+ハイソックス派の麻丘めぐみ・浅田美代子系列と、ミニスカ+パンスト派の池島ルリ子・渥美マリ系列・・・・・この二方向ありましたね。麻丘系と爽やかな風の吹くアルプスの草原でデートして、夜、貸別荘にきている池島系のやらしいお姉さんに弄ばれたい。そんな、タイプ別の欲求がありましたよ。
 しかし、なんというか、当時のミニスカートのスタイルもさることながら、剥き出しにされた足の感じがどこかいまと異なるように思う。確かに、昨今ならばロングやパンツスタイルに逃げるであろうような太く逞しい足をされた方までも、何の臆面もなくその太腿を露呈している。流行の最盛期は、それほどの〈ミニ一色〉のブームであった。しかし、そういった例は除外したとしても、どこか足の肉感がいまとは異なる。
 まぁその時代から較べれば、昨今のミニスカを着用されている方は洗練されている。タレントに限らず、一般女子のスタイリングも、当時とは比較にならない。何せあの頃のミニスカートは、素材やシルエット、コーディネートがどうのこうの以前に、単に『膝上何センチ』という寸法の短さのみを競い合っていたような印象がある。体型が、足の太さが、どうであろうと、短いやつがエラい、ススンデル、ということで、ふやけた大根みたいな足をさらしたお姉さんたちが街を堂々と闊歩していた。
 洗練されたミニ姿も、オジサンの目にはエロチックに映るが、黛ジュンや奥村チヨの剥き出しの足には、いまの生足とはちがって、隙がある分だけ猥褻性が漂っていたように思う。
                       
        
連載526回

2008年7月18日

 私の手元に、「アッちゃん 第2集/岡部冬彦」(昭35年 鈴木出版)という漫画本がある。私はこの漫画が大好きだ。「アッちゃん」は中村勘九郎(現・勘三郎)主演で映画になっている。たしかテレビドラマにもなっている。昭和30年代にヒットした漫画だ。
 「アッちゃん」は、それまでの〈ツクリ〉のギャグではなく、子供の自然な行為、言動がそのまま笑いを誘うマンガになりうるという、今のほのぼの四コマの元祖のようなアイデアを初めて示した、画期的な作品だと思う。垢抜けていて、上品な、ソフスティケートされたセンスが大好きだ。
 この時代の流行したものして、必ずフラフープのネタがある。「サザエさん」にも勿論あった。あれは不思議な流行だった。そして、なかなか難しい遊具だった。腰のあたりで数回クルクルと持ちこたえたかと思うと、すぐに、モモからヒザを伝って、地面に落ちてしまう。
 腰からヒザに落ちてしまうと、奇跡でも起こらないかぎり再びフラフープが浮上することはなかった。ちょうどピンボールで、2つのフリッパーのどまん中をボールが落ちていく時の、みすみす見送るむなしい感覚に、あれは似ていた。
 ともかく、Sケンやカンケリなどが展開されていた原っぱに、ある日突然、プラスチックの輪っかが登場し、それはみるみる内に、町内に広がっていった。それまでボクラの周辺には、まるで存在しなかったモノが、あたかも白アリの如く現れて、原っぱを、校庭を、占拠してしまった。
 このフラフープの出現から2年後には、ダッコちゃんが、登場するわけだが、どちらにしても不思議な現象だった。
 しかもフラフープの奇妙さは、大人も子供も、それまで、ふざけた時だってあまりしないような妖しげな腰の回転運動(ストリップ用語のグラインドといっていい)を、白昼堂々、人前で、しかも、みんなでいっせいに始めたことだ。人間は何をしでかすかわからない。
 若くて足の美しい女性ばかりでなく、その辺のオバさんまでが突如太モモを見せ出したあのミニスカートブームも、考えてみれば恐ろしい現象だった。黛ジュン、小川知子、中村晃子、いしだあゆみ、山本リンダetcだけじゃなく、美空ひばり、島倉千代子、水前寺清子といった大御所、演歌系の歌手まで加わるのだから。たしか、都はるみまでもが、『フレンド東京』なんて歌ではミニスカートをはいていた。
 このミニスカートの話題は来週に回すとして、話は戻るが、人前でみんなが腰を動かし始めたこのフラフープだって相当おかしい現象だった。
 誰の少年時代にも必ず登場してくる〈近所にいたきれいなオネエさん〉が、フラフープを回す姿を目撃した時は、なにか整理のつかない気分に襲われて、少年は、変になってしまいそうでしたよ。
 やがて、「フラフープをやり過ぎると腸捻転になる」といった噂が飛び交い、いくら上手に回せるようになっても「ただそれだけ」という虚しさに気づいたボクラは、フラフープを捨てて、ホッピングに走ったのだった。
                             
          
               ソニー坊や、本名はアッちゃん
連載525回

2008年7月12日

 私は今、音楽を聴く道具としておもにCDラジカセを使っている。オーディオに凝った時期もあったが、そのオーディオは今やホコリを被っている。CDラジカセは手近に置けて、すぐにソフトの交換なんかができて気軽でいい。
 使用しているCDラジカセは、パナソニックのRX−DT5という機種で、いわゆる〈バブルラジカセ〉と呼ばれているものの一つだ。一年ほど前に中古を買った。本当は上級機のRX−DT7が欲しかったのだが、スピーカーが、ウーファーだけでなくミッドハイの2ウェイなので横幅が広くなり、置く場所に困るのでRX−DT5になってしまった。ちなみに最上級機のRXーDT9になると、スピーカーは、ウーファー、スコーカー、ツィーターの3ウェイと超豪華。

 *バブルラジカセとは、ラジオカセットレコーダーのうち、1980年代後半頃から1990年代前半頃に製造されたいわゆるCDラジカセ全盛期の高級ラジカセの俗称である。省略して「バブカセ」と呼ばれることもある。(なお名称・カテゴリーとしては発売当初によるものではなく、後年になって愛好者筋によってこう呼ばれているに過ぎない) Wikipediaより

 当時は、パナソニックにはコブラトップと呼ばれる機種や、ソニーのドデカホーン、ビクターのドラムカン、サンヨーのU4など、ハッタリをきかせたネーミングのものが有名だった。さまざまな機能がてんこ盛りで、そのため持ち運びが容易でないほど大型で重量がある。大体黒かそれに近い色で、色があるのは液晶のバックライトぐらい。
 まぁ、CDはともかくカセット自体が今や古いものになってしまった。カセットテープを買う時に、何を録音するかを考えながらメタルテープとかクロームテープ(テープの種類はすごく多かった)とかを選ぶ、なんてことがあったなんて信じられない(当然のことながら、バブカセにはテープの種類の切り替えがある)。
 さすが“バブル”と言われた頃。ラジカセとしてはマニアックなまでに多機能な装備を持ち、ミニコンポ顔負け。ラジカセなのにスピーカーパネルの取り外しが出来たり、ドルビー搭載は当たり前。サウンドの設定も細かくすることが出来るし、出力も大きく、スピーカから出る音もバスレフ型で悪くない。
 しかし、一体式のミニミニコンポが高級CDラジカセよりも安く販売されるようになっては大型CDラジカセに意味がなくなり始め、ラジカセは本来のポータブル路線に戻っていった。だが、今またマニアがこのバブカセに注目していて、私も安物を買ってしまった次第。
 思えば、私の音楽体験はラジオで始まった。わが家では、高い棚の上に真空管のラジオが有った(茶箪笥の上だったかも)。やがて、自分も小さなラジオを買ってもらい聞き出したのが歌謡曲。買ってもらったラジオは、スピーカーは無くイアホンのみで聞くラジオで、アンテナ線を長くしてカーテンレールに繋がないと聞こえないものだった。もしかしたらゲルマニュームだったのかな。
 それから、もう少ししてから東芝のヤング7という機種を買ってもらった。これは憧れのトランジスタ・ラジオだった。皮のケースに入った携帯ラジオは、家族で聴くのではなく、ひとりでラジオを楽しむスタイルを確立した。
 あれから幾十年。音楽を聴くスタイルは、CDラジカセという多機能ラジオに戻ってしまった。
                                  
 
連載524回

2008年7月4日

 劇団「犯罪友の会」の『髪のほてり』という芝居を観てきた。毎年十月に難波宮跡公園で、丸太で小屋を組んでのテント公演が恒例になっているが、今回観にいったのは若手主体の特別公演。これが良かった。いつも一緒に「ハントモ」を観にいくMサンなんかは、「今まで観たなかで、ひょっとしたら一番かも」というぐらいの出来だった。なかでも、森田かずよ(客演)という初めて見る役者に妙な雰囲気があり、なかなか面白かった。
 今回は1970年という時代背景。そして描かれるのは、いつもの掃き溜めのような町角で、肩を寄せ合って生きる人々が織りなす人間模様。しかし、場末に暮らす庶民の生き様にまで、国家権力が容赦なく介入する瞬間があることを、作者の武田一度は描く。
 看板役者の川本三吉が女装で登場という意外性で笑わされた。秋の定例公演も見に行かなくっちゃ。なお、どうでもいいことだけど、劇団の名称が、「犯罪友の会」から「HANTOMO」に変わるそうです。

 職場には、K君とS君という熱心なテレビドラマ・ウッチャーが二人いる。この二人に評判の良かったドラマが「ラスト・フレンズ」だった。逆に今イチなのがキムタク主演の「CHANGE」のようだ。ちなみに、高視聴率の「ごくせん」は二人とも見ていないらしい。
 「CHANGE」は視聴率的にも今ひとつらしく、そこまで言われると、逆にどんなものかと興味を覚えて見てみたら、なんだ、けっこう面白いじゃないの。
 こんな若僧が首相になって何ができる。最初はキムタクを小馬鹿にしていた永田町の連中が、その誠実さにひかれて、一人また一人と彼をサポートする側に回る。娯楽ドラマや小説の常道を踏まえた展開は意外や手堅いじゃない。
 キムタクが総理の役を演じられる器か? 大体そんなクサしかたが多いようだが、いったい彼に何を期待しているのだろう。木村拓也は昔っからあんなキャラだった。重厚な政治家を期待するほうがおかしい。迫力のない青年が、何かの拍子で総理になる。いつまでも貫禄のつかないキムタクにはピッタリの役だと思うんだけど。
 キムタクがウスッペライというなら、では実際の政治家はどうなのか。ハッタリと思いつきだけで国民を幻惑した、ペラッペラの小泉純一郎が六年間も総理の座に君臨していたのがこの国の現実だ。「CHANGE」のキムタクから漂う軽さは、だから日本政治のリアルな反映といえるかもしれない。
 小泉は、総理を辞めてからも色々と発言している。民主党の問責決議可決に対して、
 「こんなの意味ないんですよ。イジメみたいなものなんだ。後期高齢者制度に問題があれば、もっと話し合えばいいじゃないですか。審議拒否なんて民主がやれば、そっちこそ国民に問責されますよ。」
 この人、ホントよく言うぜ、なのだ。老人切捨て法案も、固定化された〈格差社会〉も、みんなこの男が用意したものだ。盗人猛々しいのは、小泉純一郎じゃないか。
 話は逸れてしまった。ドラマに話を戻そう。周囲がすべて総理シンパになっていくなか、悪辣な陰謀家を演じる寺尾聰が除々に凄味を増して存在感を発揮してくれれば、より面白くなっていくのだろうが、どうも寺尾聰のヒールは弱いような気がするのだが。さてさて視聴率はどうなのだろう。
                                    
     
                やっぱ深津絵里!