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3/29


  ここ2,3日ほど見かけぬ顔の新しいお客サンがふえたような。どうも新入生らしい。おかげで日頃はメッタに売れない本が売れたりしています。この勢いが続けばいいんですが、今までの例でいくと、5月イッパイぐらいなんですよね。
 
 以前に、アメリカからの留学生が店にやって来たことがあり、その時、スパイダーマンのTシャツを着ていた私は、その留学生から「アメリカン・コミックが好きなんですか?」と話しかけられ、しばらくその話題で話しをしたことがあり、そんな事があってから、時々店に来るようになりコミックを買ったりしてくれる。どうも日本のアニメのマニアのようだ。
 そして今日もやって来て、「チョット見せたいものがあるのです」と言って出してきたのが、ガッチャマンのアメリカン・コミックというものでした。’78年のもので、当時まだまだ日本のアニメは珍しく、ガッチャマンもアメリカ人が書いたもので、ガッチャマンなんだけどアメリカン・テイストとでもいうのか、妙なシロモノでオモシロイんです。その他、同じくガッチャマンのジクソー・パズルとか、彼の子供時代の大切なモノらしい。
 彼曰く、「オモシロサの値打ちが解ってもらえる人に見てもらったほうがウレシイですから」との事。
 ウーン、困った。同好の士にみられてしまった。アタシ、べつにアニメのマニアじゃないんですけど。商売上、知識があるだけなんですけど。
 マクロスがどれだけアメリカで人気があったかとか、興味深い話も聞けたんですけどネ。
 しかし、日本人の私がスパイダーマンのTシャツとかフィギュアを持っていて、アメリカ人の彼がガッチャマンとはネエ。
 
 NTTの営業マンがやって来て、マイラインの登録をして欲しいとの事。色々と、「県内市外通話」とか「県外通話のお得なプラン」とか説明してくれるが、殆ど理解不能。種類がありすぎて何をチョイスすればいいのかサッパリ解らない。なんとかせえよNTT!
 それより素朴な疑問なんだけど、NTTの長距離通話の料金って、どうして高いの? 郵便葉書が、全国一律で、どこに出しても同じ料金であるのに比べて、あまりにも高い。
 電車やタクシーなら、距離に比例して料金が高くなるという原則を認めてもいい。距離が長くなれば燃料だって喰うだろうし、なにしろ運んでいるのが物理的な重量をもった乗客だ。が、電話回線が運んでいるのは、結局のところ電気信号に過ぎない。ケーブル敷設時の経費はあるにしても、減価償却が済んでいないとは考えにくい。
 なんか素人の無知につけこまれているような気がするなア。
 
 客数 28人  売上 今日は好調でした
 ここ3日ほどはイイんだけど、それまでの累積赤字が・・・ヤッパリ崖っぷち
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3/26


 チョット宣伝を。いよいよ今週の土曜日(31日)に、「ゲートマウス」で『フォーク・デストロイヤーズ』のライヴをやります。久々のライヴです。24日にいわば最終練習をしたんですけど、2時間半ほどやったらもうヘトヘトでした。体力はないし、集中力はないし、物覚えは悪いしで、おじさんバンドは大変だあ。サア、本番当日はどうなることやら。詳しいことは『フォーク・デストロイヤーズ』のHPまで。「御隠居パラダイス」の皆様の御好意により、この日記を同時掲載させていただいています。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/bouken-o/index.html
 
 今週読んだ本。北村薫「リターン」、黒武洋「そして粛清の扉を」、立川談四楼「師匠!」、村松友視「黒い花びら」の4冊です。
 「ターン」。前作の「スキップ」が17歳から42歳へスキップしてしまう話だったが、今回は同じ一日を何回も繰り返す話です。ネタ的にはよくあるネタなので、目新しくもないんですが、前にも書いたがタイムトラベル物は無条件でなんでも好きなもので。それに、よくあるネタだからこそどういう味付けをするかがポイントなんですが、これはよく出来ていると思いますよ。さあ、次は3部作の最後「リセット」だ。
 「そして粛清の扉を」。新潮社と幻冬舎が共同主催した「サスペンス・ホラー大賞」の第一回受賞作です。40代半ばの女性教師が卒業式前日に29人の高校生を人質にとって粛清を開始する。次々と人が死んでいくところだけをとりあげれば「バトルロワイヤル」と比較されやすそうだが、もっとテーマが反社会的だと思う。被害者側の人権というものをかなりデフォルメして問題提議していて、好き嫌いがあるやろうなあ。私はあまり好きくなかったです。
 「師匠!」。落語もできる小説家、立川談四楼の短編集。読みようによっては悲惨な話でもカラッとしていて、ホント落語を聞くような味わいです。古谷三敏の漫画「寄席芸人伝」を思い出しちゃいましたよ。以前にも書きましたが、命がけの芸人バカの話って好きなんですよ。どの短編にも、芸に命をかけた落語家がでてきます。とくに「はんちく同盟」。障害を持つ芸人が集まって営業を始めちゃう話ですが、ホロリとさせるが、あくまで口調はカラッとしていて、イイです。
 「黒い花びら」。水原弘の伝記です。著者は学生時代に、水原弘の歌と声にハマッたらしく、スキャンダラスなイメージしかない水原弘の生涯を検証していきます。キーワードは「無頼」と「破滅」。これもまた芸人バカの話です。しかし、同じ永六輔、中村八大コンビの曲を歌っているのに、坂本九は光で、水原弘は影やなあ。死んだのが水原弘42歳、坂本九43歳。なんだかなあ・・・・。
 どうも読書傾向がこのHPから相互リンクさせてもらっている、「たけのこ雑記帖」のたけのこサンとカブってしかたがない。まあ、だからこそたけのこサンのHPが好きで、相互リンクを厚かましくもお願いしたんですけど。
 そういうわけで、どういうわけや(大空テントふうに)。手抜きというか、便乗商法というか、「師匠!」と「黒い花びら」の詳しい評はたけのこサンが書いています。いい評なんです。興味のある人は、「たけのこ雑記帖」で検索してみてください。たけのこサン、勝手に利用させてもらってスイマセン。事後承諾になるけど許してください。
 
 客数 21人  売上 アキマセン、まったくアキマセン。
 崖ッぷちだけど、明日は店を休んでUSJだア!
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3/23


 開店早々、「紙飛行機倶楽部」の部長Mサンがやってきて、なんだかんだと一時間ぐらいオシャベリ。その後しばらくすると、以前はよく来てくれていたが、最近チョット御無沙汰だったお客サンが来店。今度、東京へ越すとのこと。なんだかんだと三十分ぐらいオしゃべり。それから又しばらくすると、いつものオナジミ様が来店。近所にできる大型古書店の話題になり、なんだかんだと三十分ぐらいオシャベリ。
 ウチの店は近所のサロンか。地域密着型と言えば聞こえはいいが、どうやらオシャベリしたい人はウチの店へ、本を買う人は大型古書店へ、てな構図になりそうな按配だ。ウーン、これでイイのか、困ったゾ。
 
 オジサンは今日もボヤク。相変わらずブランド品は売れているようだ。しかし、ミンナが金を持っているはずもなく、やっぱり貧乏人はいる。ここ関大前でもモルタルのアパートは減りつつあるが、これは貧乏人が減ったのではなく、彼らが、その場所を追い出されたからに過ぎないと、私は思っている。
 なによりも、経済システムはつねに貧乏人を必要としている。貧乏人がいなければ、金持ちは存在し得ない。考えてみれば当然の話だが、富の源泉は、富にではなく、貧乏にあるのだ。
 うかつにしてると、富は、生産力の増大によってもたらされるものであるように見えがちだが、しかし、資源が有効である限り、富は、富の偏在によってしか保障されないのである。
 じゃあ富のツケとしての貧乏はどこに行っているのだろう。たぶん、大半は第三世界に行っている。これは異論はないだろう。
 が、それだけではなく、日本の中にだって、ツケはいくらでも来ているのだ。
 フッー、思わず、理屈っぽくなってしまいました。かくいう私は貧乏人です。これが作家なら貧乏も芸になるんでしょうけどね。
 林芙美子の「放浪記」なんかが、いい例ですけどね。もっともコノ人、貧乏話でデビューしてあてて、またたくまに金持ちになってパリで豪遊して、ひんしゅくを買っちゃったりしましたが。
 私が貧乏で会得したことといえば、粗食を「ヘルシー」と表現する知恵を学びました。低カロリーの食事、適度な運動(なるたけ歩く)。「ヘルシー」なる概念は、実は貧乏と同じだということだったんだ。
 ものを捨てない。商品は最後まで利用しつくす。少々の壊れものはアロンアルファかテープで補修する。風呂の湯を四日間沸かし返す。おまけに濡れた洗濯ものを部屋の中に干して「加湿器」と言い張る・・・・。そうか、伝統ある貧乏人の吝嗇って、「地球にやさしい生活」だったんだ。
 とかなんとか言ってはみても、やはり貧乏はつらい。リサイクルフードと称して、残りものを食べる。
 何年か前にブームになった「清貧」なんて、ありゃ嘘だあ。
 そういう訳でミナサン。是非、本を買うなら当店で。結局はこれが言いたかっただけだったりして。
 
 客数 21人  売上 引越しシーズンのせいか、買取りが・・・
 今日も今日とて、崖っぷちだア!
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3/21


 駅前のラーメン屋が店を閉じました。ここ関大前は店がよく入れ替わります。駅の乗降客数だけでいえば、かなりの数になるから、学生目当てに次から次へと新たな店が進出してきては撤退していきます。だって春休みだ、夏休みだと一年の半分ぐらいは休んでいて学校に来ないもんなあ。そのわりには地価が高いし、こんな商売のやりにくい処はありませんぜ。
 
 19日に関大の卒業式があったんですけど、店の前を袴姿や振袖姿の女性が歩いていました。
 しかしマアなんですなあ、こういう華美な習慣はいつ頃からなんでしょう? 「着物のレンタル料がいくらかは知らないけれど、こんなものに金をかけるなんて」てなことを言うと、オジサンのボヤキになっちゃうんだろうけど、オジサンは人生幸朗のように断固ボヤク。
 そりゃあ、大学の卒業式は「一生に一度」だろう。その他、結婚式(これは一度とは限らないか)とか、成人式なんかも「一生に一度」という名目で、派手に演出したりして、なにを考えてんだか。
 「一生に一度」がこうした儀式に金をかける理由になるのだろうか、逆に本当にそれが一生に一度しか開催されないものならば、もっと簡素であってもいいんじゃないだろうか。
 と、私がいくら喚いても無駄なのはわかっている。
 結局、皆イベントが好きなのだ。堅固な日常性の保持のためには、法外な非日常が必要だということだ。そして、そうやって日常と非日常を分離して考えることで、日常の退屈さと非日常の不合理さの両方に耐えているのだ。
 本当のことを言えば、人生の中の経験はどれをとっても、一生に一度のものだ。たとえばの話、二回目の結婚だって、「一生に一度の、二回目の結婚式」なのだ。
 が、皆はそう思っていない。日常は永遠だと思っている。今日が昨日と同じであったように、明日は今日と同じであり、こらからもそうやって同じような一日が永遠に続くのだということを信じている。
 だからこそ、「特別な一日」が必要であり、その特別な一日に、経済音痴になって金をかけるのだろう。
 オジサンはこれからもボヤクぞ。
 
 客数 21人  売上 そこそこイケタと思っていたら、別の支払いが・・・
 もうすぐハ〜ルですねえ、チョット気取って崖っぷち
(92)

3/18


   お水取が終わると春。つい気持もウキウキと。と思っていたら、近所に古本の大型チェーン店が進出してくるという話を聞き、ショック。常連サンの何人かが心配してくれて、今日も三人のお客サンが、「例の店ができるようやけど、どう、大丈夫?」と尋ねてきてくれました。大丈夫って言われたって、コチラが尋ねたいぐらいですよ。しかしマア有り難いことです。心配してくれているんですから。
 
 今週、読んだ本は北村薫の「スキップ」。以前から評判の本だったがヤット読みました。タイムトラベル物は、映画でも漫画でもなんでも好きです。これも楽しませてもらいました。3部作らしく、今2作目の「ターン」を読んでいるところです。
 カーロン愛弓の「父・鶴田浩二」。なんというか屈折した人ですね。だからこそ、読んでいてオモシロイんですけど。鶴田浩二の代表作といえば名作の誉れ高い映画「博奕打ち・総長賭博」があるのだが、私はテレビの「男たちの旅路」か「シャツの店」ですねえ。オジサンが若者と対峙した最後の時代でしたよ。この後、オジサンはだらしなくなっていきましたね。書評は「たけのこ雑記帳」というHPで、管理人のたけのこサンが詳しく書いています。
  http://bamboo.lib.net/2000/06a.html#11 でどうぞ。いい評です。
 あとは花登筐の「私の裏切り裏切られ史」。花登サンの最後の本らしく、自身の半生記です。週刊朝日に連載したものをまとめたものですが、出版前に亡くなられたようです。
 自分が育てたと自負している、大村崑や芦屋雁之助等が、結局は花登筐のもとを去っていったことを、けっこう恨みがましく書いています。
 しかし、そんな人間関係より私が思ったことは、あの一大ブームを巻き起こした「細うで繁盛記」に代表される根性ドラマです。あのブームはいったい何だったんでしょう? 「土性っ骨」、「あかんたれ」、そして「どてらい男」。どれも泥臭いサクセス・ストーリーなんだけど、一時期はどれも高視聴率で、本当にウケテいました。
 力道山が外人の反則にガマンにガマンを重ね、最後には正義の空手チョップを、雨アラレのごとく浴びせかける。または「唐獅子牡丹」の健サンのごとく、横暴なヤクザの仕打ちに耐えに耐え、ついに男の意地を爆発させる。
 花登筐のドラマも、主人公は色々なイジメにガマンを重ね、最後には商売を成功させるという、これはいったい何なのでしょう?
 民族的なカタルシスとでもいいましょうか、日本人の一番好きな、心のツボにツンとくるドラマツルギーを前面に押し出したこの演出。
 しかし、さすがに連発しすぎたのか、案の定アキラレてしまいました。
 花登筐といえば、「新幹線三時間の車中でテレビ台本一本を仕上げた」だとか、「原稿用紙四十四万枚」だとか、そんなことが話題になったようだが、今回、花登サンの本を検索すると、全部絶版でした。結局は後世に残るような作品を書けなかったのか。流行作家の運命とはそんなものなのでしょうか。
 だが、二十年後ぐらいに、花登筐を研究するヤツがきっと出てくるだろうなあ。根性ドラマのブームは研究対象になりえますぜ、絶対に。
 
 客数 11人  売上 ううっ・・・ スズメの涙だあ
 大型古本店もくることだし、イヨイヨ目が離せない崖っぷちの日記!
(91)

3/15


 店番していて、おもわず笑ってしまった話。
 15,6歳の女の子が二人で店に入ってきて、辞書を並べている棚の前で、
 「この辞書、お得やわあ。三ヶ国語もある。」
 (ん? 三ヶ国語??)
 「中国語が入ってるって珍しいね。」
店を出ていった後、気になって確認したら、旺文社の「和英中辞典」でした。ちなみに何も買ってくれませんでした。
 
 たしか森鴎外のエッセーだと思うのだが、「日本人は先のことばかり考えて生きている。小学生は中学生になるために早起きし学校に通い、中学生は大学生になるために、早起きして学校に通い、大学生は社会人になるためにやはり早起きして会社に通う。そしてその先には何もないのだ」といった意味のエッセーがあった。
 子供の頃から寝起きが悪く、ぐうたらの私にはたいへん好ましいことを主張しているエッセーに思われた。
 先には何もないのだ。深澤七郎がズバリと言い切っている。「人間は誰でも屁と同じように生まれたのだと思う。生まれたことなどタイしたことではない。だから死んでゆくこともタイしたことではない。」というのはたぶん真実で、普通はそれを直視することがこわいから、カネだ地位だ名声だオトコ(オンナ)だシャネルだポルシェだ・・・・と騒いでいるんじゃないだろうか。
 私はそういう、オカネとかがポロッところがりこんで来たら、当然ウレシイのだけれど、それは「人生のフロク」みたいなもので、それを獲得するためにエネルギーを投入してみようという気持になれない。そのために頑張ったりするのは、めんどうくさいと思う。
 私は一時期、そういう自分を情けなく思った。自分は、無気力でパワーに欠ける性格欠陥者、人生の落ちこぼれなんじゃないかと悩んだ。
 しかし考えてみれば、自分の好きなものにかんしてはけっこうマメだ。何か「わっ」と感動するような映画やテレビや音楽や本と触れ合わないとダメである。
 生まれて来てそして死んでゆくことは「屁のようにタイしたことではない」のだけれど、だからこそ「あっ、今はタイした瞬間なんだ!」ということをガツガツ感じたいと思う。そういう瞬間を感じられることは、他のどんなことよりもウレシイことだと思う。私はそういうことのためなら、いきなりけっこうシツコクなれる。
 私はぐうたらだけど、欲望欠損者でも無気力人間でもない。ただ欲望のかたちが世間から少しズレているだけだと気づくのに、けっこう長い時間がかかってしまった。
 
 客数 20人  売上 ウーン、人数のわりには・・・・
 暖かくなってきたけど、フトコロは寒いゾっと崖っぷち
(90)

3/11


 いつも言ってるようですが、ヒマなんです。おかげで本は読めるんですけど、こんなんでイイのかしら。ヨカァねーよ。
 最近読んだ本は、山本文緒の「プラナリア」。これがオモシロカッタので、同じ作家の「眠れるラプンツェル」。これは今イチだった。それから藤井淑偵の「清張ミステリーと昭和30年代」。着眼点はオモシロイんだけど、切口がもう一つ。あとは佐江衆一の「江戸職人綺談」。このへんが、ここ一週間ぐらいで読んだ本ですかね。詳しい書評はやめときます。
 ビデオもここんとこマメに観たなあ。「ボーン・コレクター」、「エニイ・ギブ・サンデー」、「スリー・キングス」、「救命士」等。詳しい映評はやめときます。  
 
 この前、「ヘイ・ヘイ・ヘイ」に堺正章、かまやつひろし、井上堯之の三人が出ていて、ダウンタウン相手にスパイダース時代のことを話していた。
 私がスパイダースをはじめてテレビで見たのは’65年だったと思う。「フリ・フリ」を演奏していたのだが、当時まだ小学生だった私にはよくわかりませんでした。姉が持っていたレコードでビートルズなんかも聴いてはいたが、まだまだ舟木一夫や西郷輝彦なんかが主流でしたもんね(これが一年後には聴く音楽が洋楽中心になってしまう)。
 今思えば、この「フリ・フリ」って曲はブリティッシュ・ビートにインスパイアされた日本初の曲なんですよね。三・三・七拍子体質のしみ込んだ日本人がリズムをとりやすいようにと、ロックンロールに”3拍子”をとりいれた(正確には3拍子じゃないけど)画期的な曲ですねえ。マチャアキが「サンビョ〜シ」とか言って、”パン・パン・パン”なんて手を叩いたりしてね。
 エレキバンドといっても、当時はなんていうか”和風エレキバンド”ばっかりだったが、スパイダースは洋風の香りを漂わせていましたねえ。「味覚糖トップ・バラエティ」というTV番組があって、30分番組なんですけど、スパイダースがメインの音楽番組です。ここで色々と洋楽カバーをやっていた。「ブーン・ブーン」とか「デイ・トリッパー」だとか。番組の最後のコーナーで、井上順と堺正章のコンビで”マチャアキ一句”なんてやったりしてね。
 それとスパイダースはオシャレでしたよ。かまやつサンが使っていたブライアン・ジョーンズと同じVOXのエレキギターとか、ファズなんてのを日本で最初に使ったのもスパイダースだろうと思う。だいたいファズの音なんて最初に聴いたのはストーンズの「サティスファクション」だっけ。あとアー・カー・ゲー(AKG)の四角っぽいマイクとか。使っている楽器、アンプ、ファッション。どれもオシャレでしたね。
 GSがブームになった時、タイガースとかテンプターズがトップで、スパイダースはそれらよりひと世代上の感じがあった。彼らにくらべると大人っぽい感じがした。かといってブルー・コメッツのような歌謡曲路線じゃないから、大人のファンはつかめない。今にして思えば、ほんの数曲をのぞいてセールス的には苦しかったんじゃないだろうか。
 
          

  客数 19人  売上 今日はなんとか平均点
 崖っぷちは、本がよめるゾ!
(89)

3/7


 午前中、原チャリで買い物に出かけたら、走っている途中で
急にバランスがおかしくなり、止まって点検してみたら、後輪の
タイヤがベコベコでした。「わちゃー、パンクか」と思い、押しな
がら、なんとかバイク屋までたどりつき、みてもらったら、パンク
の様子はなく、自然にエアーが抜けたのではないかという診断。そう言われれば、何日か前から乗っていて、後ろがなんかヨロケル感じがしていたのは、除々にエアーが抜けだしていたのね。しっかり点検しなくちゃ、事故のもと。
 
 昭和30年代、テレビは神様みたいなものだった。ゴブラン織り
の布なんかをかぶせている家もあった。
 30年代に体験した多くのカルチャー・ショックの中で、テレビは
とにかく強烈だった。日本人の夜の過ごし方をめちゃくちゃにしてしまったパワーもすごいが、あの14インチの画面から、それまで見たこともなかった世界がのぞけるというそれだけで、もう神様だった。
 とりわけアメリカものは、新鮮な世界だった。いくつかのある
TVジャンルの中にホームドラマものがあった。
 「パパは何でも知っている」という番組は、50年代のアメリカ中流家庭を舞台にしたドラマで、いまにして思えば、疑いようもなくパパは力強く、本当に何でも知っている存在に描かれていた。
 悪さをすると「このアホンダラ!」とぶんなぐる父親がボクラの周辺では主流だった頃に、アメリカのパパは、2階に通じる大きな階段に子供を腰掛けさせたりして、「キミが、もし大人になった時に・・・」なんて言ったりする。アメリカはカッコイイと思いましたね。
 それから”素敵なママ”という概念はまったくなかった。どこのうちのお袋も、ほとんどブスだった。ヒビ、アカギレがカッポー着て四六時中、立ち働いているイメージだった。エアロビもジャズダンスもなかった。”素敵なママ”は唐突な概念だった。
 それから、新鮮な憧れをもたらしたのは、ホームドラマに登場するアメリカングッズの数々。都会の中流家庭の二人の少年を主人公にしたコメディ「ビーバーちゃん」が、こうしたグッズをたくさん見せつけてくれた。
 登場してくる少年たちは、ジーンズにスニーカーだった。芝刈りのアルバイトや、新聞配達の少年が新聞を放りなげるというのも不思議だったが、ブックバンドというのも信じがたいお気軽さで魅力だった。
 あれから40年近くたった今、「ビーバーちゃん」を取り囲んでいたアメリカングッズも、カルチャースクールに通う素敵なママもそろったけれど、”何でも知っている”強いパパは見当たらない。
 
 客数 15人  売上 今週になってかららの、落ち込みはナンダ!危機、また危機の崖っぷちだア!!
  
(88)

3/4


  確定申告をしなくっちゃいけないんだけど、もうひとつヤル気がでない。といって、サボルわけにもいかないし、今日あたりからボチボチ計算しだして、提出は締切ギリギリになるんやろうなあ。マア、毎年のことですけどね。 
 
 ヒトがオジサン化してゆく初期の症状として、アイドルタレントの顔が区別できなくなる、ということが言われますね。
 いつ頃から、私はそうなってしまったのだろう。どうやら私の哀れな眼は、十代から二十代前半までの女性を見分けられなくなり、いっしょくたにして全部「こども」と見ているようです。いつのまにか、新聞をたんねんに読むようになり、いままで、ひねくれじじいとしか思えなかった山本夏彦氏のコラムに「そうだ!」と膝を叩いたりしたりして。
 自分が宮沢喜一にように、ねぼけまなこでわけのわからぬもの言いを始めるのはまだずっと先のことだとしても、オジサンには違いない。
 新聞なんかでセクハラ事件がよく話題になっている。私の周りにはいないが、社内の宴会や旅行であきれるほどスケベな親爺がいるようだ。ベタベタ身体に触ったりして、羞恥心をどこに捨ててきたのかと思うほど大胆でつつしみのない親爺。オジサンとはある種の制御機能を欠いた人間かもしれない。
 話は変わるが、ハード・ボイルド小説というのがある。主人公はたいてい若くない。過去に離婚をしたり、アルコールに溺れたりしたことのある、経験豊富な男性(もっともこの世界にも強い女性の進出が激しいが)である。彼は俗悪な世間に揉まれながらも、自らの行動規範を作りあげ、恥ずかしい大人にならないように踏みこたえる。つまり、ハード・ボイルドは「おじさん化を拒否する」小説形式なのだ。
 むずかしいけど、できるならばハード・ボイルドに生きてみたいもんだ。「ボギーよ! 俺も男だ」と。

        
 
 客数 18人  売上 買取りが多かったゾ
 3月になっても、相も変わらぬ崖っぷち
 
          ゲバラ笹部の「小さな古本屋の崖っぷち日記」
                  2001年3月分 
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