連載140回


2001年7月31日

 なんとか今月の支払いを終えたが、来月のことを考えると、もう今から憂鬱になりますよ。
 このまま続けていけるんだろうか、という疑問がふと浮かぶことがあります。意識の変革、頭の切り換え、言うは易く・・・・だ。むろん安定した営業をしている同業者もいる。しかし、圧倒的にジリ貧状態の店が多い。まあ小売業全体がそうなんだろうけど。いかに赤字幅を抑えるか、もう体力競争ですね。私なんか運動不足で体力ないっす。もうひたすら古本屋が社会のリストラにならぬよう祈るだけですね。
 
 ”ワンヒット・ワンダース”という言葉を御存知でしょうか。まあ、アメリカ版「一発屋」のことですね。記録にうるさいお国柄ゆえ、チャートに二作以上ランクインしたものは除外する方針のようで、個人的には「一発屋じゃん」と思っていたアーティストが記録的には認知されていない、ということがあるようです。
 ゼイガー&エバンス「西暦2525年」、ヴァン・ゲリス「炎のランナーのテーマ」、ネーナ「ロックバルーンは99」・・・・意外だなと思ったのは、USA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」もワンヒット・ワンダースなんですね。
 しかし記録的な原則論はチョット置いといて、こんなんもいました的には、”ザ・ナック”なんてのも一発屋でしょう。「マイ・シャローナ」なんてヒットがあって、”ビートルズの再来”とまで呼ばれていましたが、数曲で消えましたね。まだ活動しているんでしょうか。
 「君はTOO SHY」の”カジャグーグー”なんてのもいました。後にヴォーカルの”リマール”が「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」をヒットさせていましたが。
 大物系としては「アローン・アゲイン」のギルバート・オサリヴァン、「カリフォルニアの青い空」のアルバート・ハモンド、「青い影」のプロコル・ハルム、「ラジオスターの悲劇」のバグルス、「ニューヨークシティ・セレナーデ」のクリストファー・クロスなんか、まとめて一発屋ですね。
 ブームで消えた存在としたは、ディスコサウンドの”ジンギスカン”、”ボニーM”、”マルコ・ポーロ”・・・・。アイドル系では”レイフ・ギャレット”、”ショーン・キャシディ”など。
 「今夜もEAT IT」の”アル・ヤンコビック”や「ロック・ミー・アマデウス」の”ファルコン”なんか今は何をしているのでしょう。
 そうそうワンヒット・ワンダースには”ピンク・レディ”の「キス・イン・ザ・ダーク」がシッカリと認知されています。

            


連載139回


2001年7月29日

 昨日の「御隠居倶楽部」寄合は”饅頭茶漬けを食す”。そもそもが嵐山光三郎の「文人悪食」を読んだのがキッカケ。森鴎外の好物であったらしい。御飯と饅頭とお茶。で食べた感想は、まあ”お汁粉”みたいなもんですかね。べつに悪食というほどのことも、という感想です。HPでは他の人もなにか感想を書いているでしょう。
 午前中は参院選の投票。投票所が店の近くなので、投票に行く人は店の前を通っていくのだが、帰りにブラッと店に立ち寄る、なんてことはナイワな。
 いよいよ月末。今月の支払いは頭が痛いゾ。こうなりゃ競馬か宝クジしか錬金術の手はないゾ。     
 
 私は坂口安吾のよい読者とはいないが、その写真だけは強烈に印象に残っている。それは、林忠彦が撮った執筆中の安吾の写真だ。
 送られてきた雑誌とその封筒、反故にした原稿用紙、投げ出された本、そういう圧倒的な量の紙ゴミに囲まれた机の前に安吾がすわり、執筆の姿勢をとってレンズをにらみつけている。その背後は垢と脂のしみこんだ万年床。
 この写真が撮られたのは昭和二十二年、安吾は下着の半袖シャツ一枚で、かたちのままの灰が折り重なった蚊取線香が見えるから、恐らく夏でしょうね。
 林忠彦には、他に太宰治の有名な写真もある。銀座のバー「ルパン」で撮ったという、スツールに足をのせた例の写真だ。「ルパン」では織田作之助も撮っていて、織田作は撮られた時から一ヶ月半後に、太宰は一年半後に死んでいる。
 ところで安吾の写真だが、これが小説家の部屋のイメージを世間に固定したのではないだろうか。惜しげもなく書き損じた原稿用紙で自分のまわりを埋めつくすという、その後の映画やテレビに出てくる小説家のイメージはここから出発しているんじゃないだろうか。書きながら安ウィスキーでもあおれば通俗の極みだろう。
 しかし、いまあらためてこの写真を眺めると、無頼の小説家だから汚れているのではなくて、安吾は二年間そうじをしなかったらしいが、男ひとりで暮しているとこうなるんじゃないだろうか。つまり、たんに「生活というもののない部屋」あるいは、「女のいない部屋」だということではないだろうか。 昔とちがって、今の私にはそう感じられる。
 安吾はこののちすぐに、十六歳も若い美人と一緒になるのである。羨ましい・・・。 

          
  

連載138回


2001年7月26日

 ♪あなた知ってる くれないホテル〜 西田佐知子のCDを聞きながら店番しています。三木道三はもう聞き飽きちゃったよ。
 大学前はスッカリと夏休みモード。駅前も閑散としてきました。毎年のことだから馴れっこなんだけど、今年の客の少なさは今だかってないほどの減り方ですよ。夏休みに入ってまだ僅かの日数なのに、来月のことを思うとソラ恐ろしくなってきます。
 かっては夏休みはどうせヒマだし、じっくりと長編物の小説に挑戦だあ、とか言って店で本ばかり読んでいたけど、今はヒマはあるが、とてもそんな心境になれないっす。
 連日の猛暑だけど気持の暗い夏休みだ。と、ボヤイていても仕方がない。どうにかなるさ、レット・イット・ビー、ケ・セラ・セラ・・・とネ。
 
 岡本民の「清貧写真日記」(フォーク・デストロイヤーズHP)を見て思い出したのだが、親戚の物持ちのいい家にはまだ、玉音放送を聞いた時のままじゃないかと思われる木製のでかいラジオがあって、普通の家庭でも、7球スーパーの中型ラジオが主流だった頃の昭和30年代前半、科学少年の世界では、鉱石ラジオやゲルマニウムラジオなんていう素朴な構造と原理によるラジオを作ることが流行した。
 友達の兄貴が、これに凝って、小さな石ケン箱の中に内臓するゲルマニウムラジオを作った。それが私の友達には自慢で、兄貴のいない時に見せびらかし、二人で石ケン箱の中をいじくっている内に、ポロリと中の部品が落ちて、
 「俺は、やらなかったよ。なっ」
 とあわてて家に走って帰ったことがあった。
 そんなラジオ状況だったから、小型のトランジスタラジオを見た時は、カッコイイと思った。”トランジスタ”という言葉は、当時は圧倒的に新鮮な語感だった。
 いまや”小さいけどデキル”というニュアンスの表現に”ミニ”や”プチ”なんていう言葉が使われるが、昭和30年代はトランジスタだった。
 テレビの登場で、茶の間における、権威を失ったラジオだったが、トランジスタポケッタブルラジオの出現で再び独自の道を歩み出した。7球スーパーは、みんなで聞くラジオだったが、皮のケースに入れられた携帯ラジオは、ひとりでラジオを聞くスタイルを確立した。
 そして、情緒不安定な思春期の少年は、色々な”深夜の友”を発見するのだった。

            

連載137回


2001年7月24日

 昨日の昼下がり、暑い中を日本共産党の青年部らしき5,6人がメガホンで支持を訴えながら店の前を通りすぎていきました。それから5分ほどして女性が一人、その団体の行方を訪ねにきたので、「5分ほど前に通過したよ。」と答えたら、追いかけるのかと思いきや、店に入ってきて「どうしよう、また怒られる」と独り言をいいながら立ち読みをはじめた。そうして時折、ブツブツと「どうしようかな」と言いながら、立ち読みをやめる気配はなく、40分ぐらい居たでしょうか、結局本を一冊買ってくれたんですが、レジ前で「わたし、寄り道ばかりして、みんなから遅れたんです。今から行っても解散してるやろうし、どうしようかな。」と私に訴えられても返答のしようもなく、心の中では(立ち読みせず、すぐに追っかけたら間に合っていたろうに)とは思ったが、曖昧に笑っていると、出ていく間際、日本共産党の支持ビラだけはシッカリと渡された。
 
 大学の一般教養で英語を教えている先生が、テキストに二十世紀ポピュラー音楽について書かれた文章を使ったところ(その先生はポピュラー音楽というのは誰でもなんとなく知っている音楽だという気がして、そんなテキストを使ったらしい)、とんでもない解答があったりして、改めて音楽に興味のない人や、あってもクラシックだけだったりする人がけっこういるんだと気づいたそうな。そして彼らは、とにかく訳してしまうらしい。
 「スイング・ジャズ」は「躍動ジャズ」。「リズム&ブルース」は「律動と憂鬱」。「カントリー&ウェスタン」は「田舎と西部」。戦時中は英語が敵性語として禁止され、野球でもなんでも全部日本語でやったわけだが、何だかそんな感じである。
 むろん訳しているほうだって、何か変だなあと思いながら訳しているらしいのだが、考えてみれば、「律動と憂鬱」なんてまさにリズム&ブルースの本質をとらえた適訳ではないだろうか。「田舎と西部」もカントリー&ウェスタンの人気が高い地域をちゃんと言い当てている。まあ、さすがに、「ロックン・ロール」を「岩と回転」とは訳さなかったらしいが(ちなみに、この場合のロックは「揺れる」というほうが正解です)。
 私も一般的には、カタカナがずらっと並んでいるより、日本語に変換してあるほうが好きです。「キー・ワード」と言うよりは「鍵言葉」と言うほうがいいし、「ソフィティスケーション」と言わずに「洗練」で済むものならそっちで済ませたい。
 もちろんこれはあくまで一般論である。「台所」よりも「キッチン」と呼ぶほうがふさわしい空間があることも確かだし、「アスパラガス」を無理して「松葉独活」などと言ってみてもはじまらない。でも、店にしろカタログにしろ、カタカナがズラッと並んでいて何が何だかわからない、なんてのは腹がたつ。
 さて、この文章を書きながら私が聞いた背景音楽は、「その楽隊」の「大いなる桃色からの音楽」と、「沿岸青年団」の「微笑的微笑」でした。

            

連載136回


2001年7月22日

 最近、同業者のMサンからよくTELがある。べつに用事があってのことではなく無駄話ばっかりだ。
 Mサンの近所にもこの春、ウチとはちがう新古書店がオープンして売上が落ちているらしい。それでマア愚痴のTELですな。Mサンにすれば自店より、まだ売上の悪いウチの店の状況を聞いて少しでも安心したいんでしょうね。それと愚痴をいうことでのガス抜きですな。
 しかし状況の悪い者同士が愚痴を言いあってもねえ。なんだかなあ。
 
 むかし、コンパクト盤というレコードがあった。4曲入っていて大きさはシングル盤と同じ17センチ、スピードはLPと同じ33回転だった。
 LPの新譜が出て少し経ってから、そのなかの4曲を選んでいた。選ばれる4曲は、LP全体のなかでもベスト・トラックであるのが普通で、内容的に非常に充実していることが多かった。
 「PP&M」(風に吹かれて/レモン・トゥリー/パフ/天使のハンマー)や「ベンチャーズ」(ブルドッグ/アパッチ/キャラバン/パーフィディア)、「加山雄三」(夜の太陽/日本一の若大将/恋は紅いバラ/あと一曲は忘れた)などを持っていた。
 ビートルズの『ラバー・ソウル』からピックアップした「ミッシェル/ガール/ノーホエア・マン/消えた恋」なんてコンパクト盤もあって好きだったが、『消えた恋』だけがなんか格落ちという気がしていた。(不安定な音程で歌うリンゴ・スターの男の情けなさは、さすがにまだ理解外だった)

          
 内容的に充実しているだけではなく、4曲盤は値段的にもお得でもあった。当時、洋楽のシングル盤は370円(邦楽は330円)、LPは1800円(邦楽は1500円)が普通で、廉価盤などというものはまだ存在しなかった。洋楽で計算すれば、シングルは1曲あたり185円、LPはだいたいが12曲が標準だったから1曲150円ということになる。ところが4曲盤は500円(邦楽450円)で1曲あたり125円、LPよりも安い! これはただでさえお金がない上に性格的にもセコイ私には大きかった。情けない話だが、私にとっては、内容が充実していたことよりも、1曲あたりの値段が安かったことの方が、4曲盤に惹かれる大きな要因だったんじゃないかと思う(今でもたいして変わっていないんですが)。

連載135回


2001年7月19日

 先日、「うる星やつら全34巻」と「BOY全33巻」の漫画2セットが売れました。一日に2セットも売れるなんて久しぶりですよ。以前はセット物がよく売れたんだけど、最近はホント売れないっす。
 売れないセットを棚に並べていたって仕様がないからバラして棚につめるんですけど、これをすると長編物の場合、後半部分しか売れない(全30巻なら、20巻からウシロとか)。途中までは新刊で購入するんだけど、長期連載になると息切れしてくるんでしょうね。しかし続きは読みたい、というわけで後半だけを古本で購入する。
 全巻揃えるのをギブ・アップした人は、途中まで買ったのを売りにくる。そういうわけで、前半部分の同じ巻だけがダブついてきます。そんな在庫はなるべくなら作りたくないのでセットで売れてくれるのが一番アリガタイんですけど、なかなかねえ。
 
 浜村美智子主演の「ジャズ娘に栄光あれ」(’58 山本嘉次郎 東宝)を見ました。
 「デーオ!」で御馴染み、「バナナ・ボート」の浜村美智子ですね。わたし、どういうわけかシングル・レコードを持っていまして、多分、親父の買ったのを自分のコレクションにしちゃったんだろうな。(ちなみに調べると、このレコードはSPとEPの両方が発売されているんですね。ちょうどSPからEPに切り替わる過度期だったようです。)
 歌のヒットの勢いで作った映画なんでしょうね。演技はお世辞にも上手いとはいえないが、浜村美智子の存在感がスゴイ。こんなに存在感のある人だとは思わなかった。
 テレビで「バナナ・ボート・ソング」を歌っているのを見たのは、ホント幼少の頃の記憶で、浜村美智子がどんな人だっったのかは、勿論わかりませんでした。
 今回、改めて見ると、なんというかクールなんですよ。そのクールな中にも情熱があるとでもいうのか、当時の歌手でも笑わない歌手って珍しかったんじゃないだろうか。カルメン・マキや藤圭子の元祖ですよ。
 キャバレーでロックンロールを歌うシーンがある。「監獄ロック」と「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をたして2で割ったような曲なんですが、浜村美智子のワイルドな歌い方とグルーヴがすごい。当時でいえばロカビリー三人男がいたはずだが、ハッキリいって凌駕していますよ。
 とにかく今回の映画は、わたしにとっては浜村美智子の魅力発見の映画でした。ベスト盤は出ているのだろうか、検索せねば。
 ところで映画の中に出てくるんですけど、”ヤキトリ・キャバレー”って何なの? 知っている人がいたら、誰か教えて。
                   *
 「ロマンス祭」(’58 杉江敏男 東宝)も楽しい映画でした。江梨チエミ、雪村いずみが歌い、踊り、他にもフランク永井が歌い、フランキー堺がドラムを叩く。東宝ミュージカル・コメディはエエなあ

             


連載134回


2001年7月17日

 交換市へ行って仕入れるのは、だいたいが雑誌か漫画が多いです。たとえば、週刊漫画誌(ペンギン・クラブ、パピポ、ラッツMate等)の場合は30冊一括りで出品されるのが通常です。
 定価350円前後の週刊漫画誌が、家庭からチリ紙交換によって”タテ場”に集積され、その”タテ場”ごとに契約している古本業者が種類別に雑誌等を整理し、交換市に出品する。
 雑誌なんかは圧倒的にこのルートから流れてきます。たまに店への持ち込みなんかもあるが、量がちがいますよ。
 最近はめったにないが、昔はこういう”タテ場”から、お宝が発見されたことも、しばしばあったらしいです。
 で、30冊一括りで出品された週刊漫画誌を、わたしがだいたい1500円前後(これも、日によって推移します)で落札してくるわけですね。そして、ウチの店で1冊150円で売られるわけですな。
 
 中学・高校のころの読書では、読書感想文を書くための読書、というのが人によってはかなりの比重を占めるんじゃないだろうか。わたし自身も「坊ちゃん」や「こころ」などは、まず夏休みの課題図書として読んだ覚えがある。
 学校や国の教育機関が、「課題図書」を与えて、「感想文」を課す。これは、いいことなんだろうか、悪いことなんだろうか?
 読書感想文の功罪ということを考えると、たしかに「功」はある。それまで本を読まなかった人が、なかば強制的に読まされたのがキッカケで本の面白さに気づき、その後は自分から進んで読むようになる、という例はきっとあるはずだ。(進んで本を読むことはいいことなのか、という問題自体も考えだすと実はよくわからないのだが、ここではひとまず、「自発的な読書は善である」という前提で進めます)。
 けれどもその一方で、「罪」も間違いなくある。どんないい本でも、「教科書」とか「課題図書」になったとたん、退屈なシロモノと化してしまう危険がある。強制されて読んではみたものの、やっぱりオモシロクなくて、読むだけでも苦痛なのにおまけに感想文まで書かなくちゃならなくて、そんなこと言ったって感想なんか何もないよー、もう本なんかコリゴリ! と、逆に人を本から遠ざけてしまうケースもずいぶんあるのではないだろうか。
 そう考えると、「功」「罪」のどっちが重いか、実はけっこう微妙な問題かもしれない。
 そもそも、なぜ本だけはいちいち、「感想」を持たねばならいのか?音楽、絵画、映画、芝居、その他文化的産物はみなそうだが、本もやはり、もっともらしい言葉(感想)にする前に、まずは「味わう」べきものだと思う。もっと言えば、一冊の本を読むというのは、一杯のラーメンをたべるのと大して変わらない行為だと考えたい。「ああ、うまかった」「ああ、まずかった」が、「ああ、面白かった」「ああ、つまんなかった」というふうに、言葉がちょっと入れ替わるだけの話である。うまいラーメンは腹を豊かにするが、知的な本は頭を豊かにするし、情熱的な本は心を豊かにし、好色な本は下半身を豊かにする(なわけないか)。

                


連載133回


2001年7月15日

 今年は雨が降らんなあ、と思っていたら梅雨明けですって。で、連日の猛暑。店のエアコンが古くてボロくて効きが悪い。買い換えるったって先立つモノが。これじゃあ、ますます客に敬遠されるますよ。「あの店、暑いからイヤ!」ってね。それでガンガンとエアコンの効いている新古書店へと客は逃げていく。「ホント、わしゃモウ、かなわんよ。」
 
 むかし大掃除というものがありました。家族全員がうちそろってやるものでした。
 わたしの地域では初夏にやっていたように思う。時候になると、近所のアチコチで大掃除が始まりだし、ドコソコは先週やった、ドコソコは来週らしい、とか天気予報をにらみながら日取りを決定した。
 子供にとって大掃除は非常の日だった。ふだん見慣れた環境がかわる、嗅ぎなれた家のにおいがかわる、それは波瀾にとんだ日曜日だった。
 庭にむしろを敷き、そこに家財を並べる。畳をあげて外に出し、東の塀にたてかけた。日ざかりで畳を叩くと、どこにそれだけ含まれていたのかといぶかしむほどの埃が叩き出され、澄んだ空気のなかにさっと散った。
 空は青かった。時分どきには畳をあげた床の上に茣蓙を敷き、オニギリと漬物と麦茶で昼食をとる。すっかり払った家の内部をまっすぐに通り抜けてくる風が心地よかった。なんか季節の「けじめ」としては悪いものではなかった。オニギリを食べ終えると、やがてまたそれぞれの仕事に散った。
 父と母は年ごとに古いものを捨てた。あるときは古ラジオを捨て、そのかわり雑音の入らない新しいラジオを買った。大掃除のたびごとにわが家は便利になっていくと思えた。古いものを捨てること自体も気分がよかった。古いものに価値はない、ためらわずに捨てる時代だった。
 いつしか、わたしの家では大掃除する習慣を失った。季節ごとの折り目に執着しなくなり、気分を新たにするという感覚を失った。隣近所から聞こえてきた畳を叩く、折々のうるさくも小気味よい音も途絶え、日曜日に家のおもてへ出て働くひとの姿もめっきり減り、そのようにして昭和三十年代は暮れた。

  


連載132回


2001年7月12日

 「ブラック・シープ・映画監督『中平康』伝」(中平まみ ワイズ出版)が売れました。この作者、中平康の娘だが、なんか今回の参院選に出ているみたいですね。自由連合って、ありゃ何ですか、タレント候補がやたらと多いけど。
 それと今日は「夜と霧」(V・E・フランクル みすず書房)も売れましたよ。ナチス強制収容所の記録ですが、この本も確実に売れるなあ。ウチの店でも何冊売っただろう。中学のとき、友人の家にこの本があって、写真を見た時はショックだったなあ。
 しかし後が続かない。新古書店のため、何割かは売上が落ちているのだが、しだいにボディー・ブローのようにジワジワ効いてきています。
 
 志水辰夫の「きのうの空」(新潮社)を読了。
 抒情派ハードボイルド作家として、一部に熱烈なファンを持つ志水辰夫。「裂けて海峡」(講談社文庫)は珠玉の名作とされています。その抒情性あふるる文章は”シミタツ節”といわれ、読者を唸らせている。
 直木賞候補になること三回。しかし、いづれも受賞を逃がし、それゆえか今イチ、メジャーにはなれないみたい。
 最近、志水辰夫はミステリーから文学にシフトしようとしているようで、「いまひとたびの」(新潮社)、そして今回の「きのうの空」と、それは成功している。
 「きのうの空」は連作短編集です。短編の主人公はそれぞれ違うが、少年期から壮年期までを順に描き、舞台はいずれも田舎。その時々に出会う人々や、別れた人々。そのたびに忘れ物をしたきたことを、そのたびに新たな荷物を背負ってきたことを思い出し、人生の意味を考える。
 人生の盛りを過ぎて初めて見えてくる景色。その景色を淡い色彩で描いていく。もちろん”シミタツ節”は健在です。
 だけど、この”シミタツ節”。特徴があるだけに好き嫌いがどうしてもでてくる。ハマればたまらないが、そうでない人には気取っていると思われるかもしれない。だから、誰にでも、っていうわけにはいかないかも。
 浅田次郎の小説を想起するかもしれないが、どちらも海千山千のオジサンということでは共通かもしれない。だが、浅田次郎の作品にはある種アザトサがあるが、志水辰夫はそこをギリギリ踏みとどまっているように思う。

                
 

連載131回


2001年7月10日

 近田春夫の「定本 気分は歌謡曲」が売れました。これはイイ本です。歌謡曲考としてはすぐれモノの本です。この本、じつは駅二つ離れた新古書店で100円で売っていたんですよ。「なんでこんなイイ本が」と思い、それでセドリしたんですけど、売値が100円ということは買値は5〜10円? ウチの店に持ち込めば、新古書店の売値よりもっと高く買取るんだけど、なんで値打ちのわからない店に売りにいくかなあ、と思ってみても現実はそうなんですよね。新古書店の、なんと言いましょうか、あのコンビニみたいな雰囲気のほうが入りやすいんでしょうね、立ち読みにも文句を言わないし。ウチみたいな無愛想なオッサンがいる店は敬遠されるのは仕方がないか。
 
 「♪幸せはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが〜」 などと不用意に鼻歌を口ずさんだとしても、あとがつづかない。
 「んーと、やっぱり苦しいだけだな」と、もう歌にはならない。昔はこうじゃなかった。
 「♪流れる汗に未来をこめて 明るい社会をつくること〜」 とかなんとか、気分とは裏腹だろうが、とにかくカラ元気くらいはつけることができた。
                  *
 江戸時代の学者”林子平”の歌に
 「親は無し妻なし子無し板木なし金もなければ死にたくも無し」
というのがある。(板木とは幕府に没収された「海国兵談」の木版のことです)
 若い頃は笑って読んだが、いまはまさに身につまされる。
                  *
 ネクタイをしなくてもいい、朝早く起きなくてもいい、脂っぽい上司や食通の同僚とつきあわなくてもいい。特典はいくらかあるが、不利もあまたある。
 保険がない。退職金がない。有給休暇がない。というふうなことを考えると気が滅入る。頭を掻きむしると毛が抜ける。
                  *
 わたしの老後の幸福なイメージ。
 ネコが縁側で眠っている。心がきゅんとするくらい天気がよくて、小庭には干した洗濯物が白く輝いている。わたしは庭にしゃがみこみ、日がなアリの生活などを観察している。
 すると、死んだ息子のお嫁さんが、水仕事を終えてエプロンで手を拭きながら縁側に出てくる。そして膝をつき、微笑をたたえた美しい顔で、お義父さんお茶でもいれましょうか、とかいう。
 おお、そうだね、といっておもむろにわたしは立ち上がり、伸びをする。伸びをしながらふと先立った妻のことなど一瞬思い出す。微笑をたやさず、片手でネコの背中を撫でている死んだ息子の嫁さんは、もちろん原節子ソックリである。
 どうでしょう? こんな老後。夢ですよ、夢。
 
              

 客数 11人  売上 はやくも夏休みモードかあ
 最近、スッカリ馴れっこの崖っぷちだア  

連載130回


2001年7月8日

 松岡正剛の「ルナティックス」が売れました。この本、もう2年ぐらい棚に並んだままじゃなかったろうか。よく売れてくれましたよ。あと、ウチの店にしては珍しく岩波の「西洋哲学史」なんかも売れちゃったりして。でも、こんなことはホント稀で、主力は漫画に雑誌。
 某雑誌(売価200円)を3冊買うから100円マケテくれと一人の学生。「帰れ!」と怒鳴っちゃいましたよ。昔から、大阪人は値切り交渉もコミュニケーションの一つ、なんてことが言われたりしますが、私は大嫌いだ。客によっては、とりあえず”マケテ”というのが口グセみたいなのがたまにいて、そんなの相手にしてられませんよ。フリマじゃあるまいし。
 
 太田和彦の「黄金座の物語」(小学館)を読了。
 市役所勤務の主人公、隣町に黄金座という古い日本映画しか上映しない映画館を知り、夢渡橋を渡って通うようになる。
 映画を観たあと、居酒屋「銀月」で一杯飲むのが楽しみ。加東大介似の主人がやっているその店には、笠智衆似の老先生が常連客でいて、その先生と映画の話をするのが又、楽しい。
 黄金町には、中村伸郎似のマスターがいるバー「ルナ」、清川虹子似のオカミがやっている飲み屋「ひさご」なんかもある。その他、登場人物はキャバレーの用心棒松永(三船敏郎似)や出版社員(田中春男似)など。極めつけは老先生の清楚な娘紀子(原節子似)。
 これで解るように、オトギの町の、オトギのような物語。
 黄金座で観る日本映画を詳しく解説しています。取り上げられる映画は”花形選手”、”家庭日記”、”花籠の歌”、隣の八重ちゃん”など19本。どれもが戦前の映画です。(ちなみこの小説、キネ旬に連載されていました)
 どうして、こんなに古い日本映画に惹かれるのだろう。
 時代劇は別として、現代劇の映画は作られた当時は生々しいが、時代を経て現実が変わってゆくとそれが消え、作品の本質が純粋に見えてる。その本質とは社会への問題意識のような理屈でなく、作った人のものの見方や感じ方だ。しかも劇映画は記録映画と違い、風景でも絵になる所を選び、構図や光を工夫しているので、最も美しい状態が残ることになる。風景のみならず、人々の顔つきや仕草、習慣、ものの感じ方もそうだ。そして、それらは何でもない風俗映画によく残っている。
 古い映画の魅力は、例えば古い写真を見て、これが動いたらなあという願いが昔の映画ではかなえられる、しかも風景だけではなく、当時の人々のものの考え方や感情もそこにある。
 それらの、今や失われたものを見ると、とても美しいものに感じられる。映画は生まれ変わったのだ。
 古い日本映画を見るのは、生まれてから一度も開いていない自分の記憶の箱をあけ、その中をのぞき見ることなのかもしれない。自分には自分も知らない記憶があって、だからこそ、知らない過去に懐かしさを覚えるのだ。古い映画を見ることは、そういう記憶に出会うスリルかもしれない。
 
             

 客数 13人  売上 ここ数日は、底なし沼に入ったようなどん底
 夏が来る。いやな予感がする。崖っぷちだア。 

連載129回


2001年7月5日

 今日は交換市に行ってきました。市会は毎日、大阪市内のどこかで開かれているんですけど、私が行くのは、比較的近所の「北東北書会」という市会です。この市会も、最近は出品量が減ってきて、ヒドイ時には1時間ぐらいで終了することがあります。今日はわりと多くて、それでも2時間ぐらいですかね。以前は3時間かかるのは当たり前だったけど。
 今日の出品で、みんなの目が血走り、大声を張り上げさせたのが「サン出版」のエロ劇画20冊(通称・JOY COMICS)。20年ぐらい前のH漫画本なんですが、これが今、あるマニアの間では大人気なんですよ。べつにヒット漫画じゃないから量も出回っていないし、大切に保存するような本でもないし、それだけ現存数が少ない。中島史雄、沢田竜二、片桐七郎、村祖俊一・・・。ほとんどの人は知らないと思いますが、その世界では有名な漫画家です。
 しかし20年前には、これらのエロ劇画がこんな価値になるなんて誰が想像できたろう。
 
 「エレベーター・ミュージック」というものがあるらしい。たとえばデパートのエレベーターや銀行のロビーなんかで耳にする、あたりさわりのない人畜無害なバックグラウンド・ミュージックのことをいうらしい。むろん蔑称です(用例・・・「バニー・マニロウなんてしょせんエレベーター・ミュージックだよ」)。アメリカでは「ミューザック」とも呼ばれているらしいです。
 「エーゲ海の真珠」とか「恋は水色」とか、刺激的な音を入念に取り除いたアレンジで、自己主張を極力排除した音作りですね。
 何年か前の夏、彦根の商店街ではハワイアンが流れていたし、ビアガーデンではヴェンチャーズの”北国の青い空”(どうでもいいけど、イメージが古いねえ。自分でもあきれますよ)なんかが流れるのも、広義の意味ではエレベーター・ミュージックでしょう。
 こういうふうに考えると、エリック・サティやウィンダム・ヒル、ブライアン・イーノなんかも入るのかしら。しかし、まあ何といっても代表格はパーシー・フェイス楽団でしょうね。
 晩年のジョン・レノンはヨーコが出かけているとき自宅でミューザックを好んで聴いていたという逸話を読んだことがあるが、やっぱりこのジャンルにもマニアはいるのだろうか。北欧インストみたいなサブサブジャンルにまでマニアがいるぐらいだから、きっといるんだろうな。阪急デパートと阪神デパートのBGMの違いを熱く語ったりして。しかし、そういう人の方が、モンドやラウンジの即席マニアあたりより、尊敬できるような気がするなあ。
 なんかの本で読んだのだが、「バックグラウンド・ミュージック」という言い方は近年では同語反復でしかない、なぜならいまやすべての音楽がBGM化しているのだから、といった鋭い指摘があった。
 かつては「快い音楽がさりげなく聞こえるのが高級」ということもあったかもしれないが、今日のようにいたるところで音楽が流れている世界では、余計な音楽なんかない方がよっぽど高級だと思う。

             
 
 客数 8人  売上 今日は市会に行って、店を開けたのはPM4:00だもんね。人を雇う余裕もないっす。それでもプレミア写真集が1冊うれて、悲惨ではないが、いや、やっぱり悲惨な崖っぷち

連載128回


2001年7月3日

 ウチの店では、少ないですけど絶版のプレミア漫画を扱っています。値段はいちおう相場みたいなものがあるんですが、どんなジャンルでもそうですが、興味のない人からみれば「ナニッ!」というような価格がついている時があります。
 最近、売れた本でいうと、椋陽児の「しごき初夜」(誰も知らないだろうな)というエロ劇画です。そりゃあ、知らない人からみれば、!マークが5つぐらいつく価格ですよ。
 マイナーなジャンルほど、ディープな世界です。
 
 小さい頃の記憶にのこっている歌謡曲といえば、「有楽町で逢いましょう」「黒い花びら」「月の法善寺横町」等々、浮かんでくるのだが、この歌が流行った頃、わが家にはまだテレビがなかったように思う。だとしたら、ラジオで聴いていたのだろうか。そのへんのところは、よく覚えていない。
 家でテレビを買ってからは、音楽をめぐる記憶に映像が加わってくる。やはり、音楽はもっぱら歌謡曲で、最近はどうだか知らないが、たいがいいつの世でも「御三家」がいるもので、当時の御三家は男が橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦(なんか近頃は、三人でショーをやっているみたいですが)、女が中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりで、最初に覚えたのは橋幸夫の「潮来笠」だったが、個人的に好きだったのは森山加代子だった(旧石器時代のハナシやなあ)。
 それからベンチャーズ、ビートルズが登場し、聴く音楽に洋楽が加わってくる。ナンシー・シナトラ「にくい貴方」、モンキーズ「恋の最終列車」、ホリーズ「バス・ストップ」、ダスティ・スプリングフィールド「この胸のときめきを」・・・・。

              

          ************
 
 私が子供の頃に回帰するための触媒はもっぱら音楽だ。ジャズやブルースも聴くようになった今日、残念ながら舟木一夫はもう聴かないけれど、CCRなんかは(曲によってはヴェンチャーズも)依然同じようにワクワクして聴くことができる。音楽という観点からみれば、小学校の頃の自分、中学の頃の自分、高校の頃・・・・と、いくつもの自分が重なっていまの私が出来上がっている。古本屋店主という現在の自分は、その一番上の、ごく表面的な層にすぎないと思う。
 
 客数 16人  売上 近頃はこんなもんですわ
 もう驚きもしない、崖っぷち

連載127回


2001年7月1日
 
 今日から7月。昨日までのことは忘れて、気持を新たに。と思いたいんですが、すぐに夏休みになっちゃうしなあ。ここは学生街だから、夏休みになるとホント、人がいなくなるんですよ。アー、また地獄の季節がめぐってきた。
 
 「浅草フランス座の時間」(井上ひさし 文春ネスコ)を読みました。
 東京の浅草に1950年代初めに開場した「浅草フランス座」は、ストリップの殿堂であるとともに、渥美清、谷幹一、関敬六、長門勇など多くのコメディアンを生んだ。この本は、浅草最後の黄金時代にフランス座の文芸部にいた井上ひさしを中心として編集された、「浅草フランス座」を軸にした戦後大衆芸能史です。
 インタビュー、対談、回想、評論。そして、ストリッパーの舞台写真を集めた「踊り子年鑑」と、盛りだくさんの内容です。
 しかし、ストリップに的を絞ったわけではなく、井上ひさしの関心はストリップよりコメディアンの方にあって、同じ時期にフランス座で活躍した渥美清との対談はオモシロイです。
 当時のフランス座のストリップはまさしくショーであり、公演もストリップ・ショーと喜劇の二本立てだった。とは言っても、客はストリップ目当てであり、喜劇芝居の間に弁当を食べるのが当たり前だった(外食なぞしない時代で、勤め人は弁当を持って会社に行くのがふつうだった)。コメディアンたちは「客に弁当を使わせるな」、ウンとおもしろい芝居をして食べるヒマを与えるな、というのが悲願だそうで、それゆえ「鬼気迫る異様なおかしさ」(渥美清)があったという。コメディアン同士の「演技の食い合い」から、渥美清が台本から大幅に外れて、「ストーリーの展開の主導権」を握ってしまうこともあった。「あれはもう軽喜劇とは言えないですね。そうだ、あれは狂喜劇だ」と井上が言えば、「そう、出てたヤツは、みな狂気」と渥美が応じる。
 以前に書いたが、小林信彦の「おかしな男 渥美清」にも、スターになる前の渥美清が著者に「狂気のない奴は駄目だ」と言い切る場面があった。
 渥美清が「フランス座」で活躍していた頃、そのビルの地下にあった「東洋劇場」では萩本欽一がコメディアン修行していた。
 後年、井上ひさしが取材のため「フランス座」を訪れた時、「なんだ、昼間からストリップなんか見やがって」とブツブツ言ってたエレベーターボーイがビートたけし。
 渥美清、萩本欽一、ビートたけし。浅草という場所は笑いの”人材養成所”だった。この三人がいなければ、私達の戦後はなんと味気ない時代となっていただろう。

              

 客数 15人  売上 最近、スッカリとこの低い額で定着したなあ 
 この夏を乗りきれるか、正念場の崖っぷちだア!
【前ページに戻る】
          ゲバラ笹部の「小さな古本屋の崖っぷち日記」
                  2001年7月分