『裏FLYING BEAN』から持って来ました”ひみつ日記/過去編”。中身は一緒です。
他にもネタが結構あるのですが、まだちょっとトラウマってるものは書けません(笑)。
でもそのうち密かに更新されるかも・・・?

元気爆発!小学校編

ロケットペンダント

日本中の婦女子が燃えた”たのきんトリオ”。
小学生のさとうくんは、ちょっとニヒルなマッチにココロときめかせていた。

そんなある年、さとうくんは誕生日にかわいいハート型のロケットペンダントを
両親からもらった。ぱちんと開くと中に写真が入れられるアレである。
中に入れる写真はもちろんマッチ!
お気に入りのブロマイドから一番気に入っている笑顔を選び、ハサミを入れた。
ジョキジョキ・・・・・ジョキジョキ・・・・・・ジョキジョキ・・・・・・・。

なかなか入るサイズにならない。
ジョキジョキ・・・・・ジョキジョキ・・・・・・ジョキジョキ・・・・・・・。
もう少し。
ジョキジョキ・・・・・ジョキジョキ・・・・・・ジョキジョキ・・・・・・・。

やっとペンダントに入るサイズになった頃、マッチは鼻だけになっていた。
はっ!これじゃマッチかどうかもわからん!
そして鼻以外の、残ったブロマイドは蚊取り線香になっていた。
冷静になって写真とペンダントのサイズくらい比べていれば、避けられたであろう
事故であった。お気に入りのブロマイドを自ら台無しにした悲しい過去である。

ところでさとうくん、ジャニーズグループで気に入ったメンバーは、
後に最も売れる、というのが自慢であった。(母は惨敗・・・)
しかし”シブガキ隊”でフッくんを選んでしまったのが我ながら情けない。
サターンの”ワンチャイ・コネクション”で遊んでいてそう思いました・・・・。


学芸会・・・・。
これをお読みのみなさんにも、恥ずかしい役をやらされた過去はないだろうか?
白タイツやかぶりもの。変な方言や悪者役など・・・。
私もいろいろやったクチであるが、5年生の時のこの役は情けなかった。

”世界宝物コンクール”というその劇は、世界中の国々がそれぞれ宝物を持ちより、
審査員によって「合格」「不合格」を決められるという、ちょっと不思議な話だった。
(結局は「子供たち」や「お年寄り」が本当の宝!というベタなオチではあったが・・・)
さとうくんは宝を持ちよる国のトップバッターだった。
国の名前は「アポロン連邦」(だったと思う・・・)。
そして私は、母のスクーターヘルメット、白いダウンジャケット、紺色の長靴という
かなりトホホないでたちで、水の入った洗面器を持って、「これは『月の水』
です!」と主張したのだった・・・。(この役は3人組)
劇が始まるなりこんなへんちくりんなのが出てきて、エヘンと威張って水を出し、
審査員に「月に水は無いハズですが・・・」などと突っ込まれ、スゴスゴと退場するもん
だから、観客は大笑いであったことは言うまでもない。
母にも強く「観に来てね♪」とは言えないし(観に来たが・・・)、一年生には弟もいて、
家族に恥をさらすというのはこういうことかと、幼いなりに理解したさとう
くんであった。
押しても駄目なら・・・

某H市の家具屋さんで、ある日さとうくんはお手洗いを借りる。
ところが個室から出ようとしたところ、なぜかドアは引いても開かなかった。
”押しても駄目なら引いてみな”という言葉をふと思い出したさとうくんは、
個室のドアを押してみた。・・・でも開かない。
「ならば体当たりじゃ!」とドアに幾度も体当たりを試みた。
「バキ!」
乾いた音と共に木屑が宙を舞った。金具は縦に割れたドアに完全に挟まり、
押すどころか引くこともままならない、まさに密室状態になってしまった。

「お姉ちゃ〜ん、バスの時間だって〜」と呑気に弟が呼びに来たので、
「お母さん呼んできて〜!!」と絶叫すると、数分後、怒った母がやって来た。
「バスの時間だって言ってるでしょ!」
「た、助けて〜〜〜!出られない〜〜〜!!」
状況を理解した母は、慌てて店員さんを呼んできた。
この状態を見て店員さんが驚いているのが、ドア越しにも察せられた。
結局店員さんはカンヌキでドアを壊し、さとうくんはその隙間から出てきた。
ペコペコ(×100)と平謝りし、さとうくん達は家具屋を出て来た。

そして2年後。
再びお手洗いを借りると、さとうくんの壊したドアだけが新品になっていて、
さらに全てのドアに「押す」「引く」のプレートが貼られていたのであった・・・。


ある夏休み

夏休み、隣の山形県に旅行に出掛けた際、遊園地に行った。
従姉・従兄が入ろう入ろうと言うので、仕方なくお化け屋敷に入った。
しかし2人が入り口付近でひどく怖がった為、動く床(すのこを2枚吊るしてあるだけ)
で前に押された私だけがすのこに足を挟まれた。痛かった。

その後、2人が乗ろう乗ろうと言うので「いかだ遊び」をするも、体勢を崩した私が
一人、
いかにもアオミドロとかミカヅキモとかがいっぱいいそうな沼に落ちる
履いていたビーチサンダルが脱げてプカプカ浮いていたのが忘れられない。
そして「お母さん、落ちた〜〜!」と離れていた親戚達に駆け寄るも、主語(誰が)が
なかったので「誰が落ちたのか、○○か!?」と、一時騒然となった。
が、一番先に駆け寄ってきた本人であることが判明し、心配されるどころかみんなに
ゲラゲラ笑われ、緑色になった服を着替えさせられた。・・・トホホである。


それは突然に・・・・

おじいちゃんと弟、そして従兄弟達と菊の展覧会を見に行った時のことである。
展覧会の前に私達は小さな公園で、よくある丸型の4人ぐらい乗れるブランコで
遊んでいた。従兄弟達の中で一番年長だった私は、みんなを乗せて外から
ブランコを押してあげていた。
ここでふと、私は保育園の時遊んだ方法を思い出した。
ブランコの外側に足をかけて、反動でブランコを揺らす、
ちょっと危険な技である。懐かし〜!やってみよう!
と、ブランコの下の方に足をかけたその時、ブランコはそのまま私を下にして
動かなくなってしまった。・・・・そう、体重が変わっていたのである。
既に揺らすどころではない。従兄弟達も唖然である。
さらに運の悪いことに、雨上がりでブランコの下には水溜まりが出来ていた。
私の背中はズブズブと水溜まりに入ってしまったのである。
非常に黒いゴヨゴヨとした水溜まりであった・・・。
みんなに引きずり出してもらったものの、私の背中は真っ黒に汚れ、下着まで
ビショビショになってしまった。私が「もう帰りたいよ〜」と駄々をこねたのに、
おじいちゃんはそのまま菊の展覧会に連れていった。もちろん注目の的だった。
さらにおじいちゃんはスーパーに寄ると言い出した。おじいちゃんが鬼に見えた
「帰る!」と言い残し、独り半ベソをかきながら、私は家に戻って着替えをしたの
である。当然おやつも買ってもらえなかった。・・・トホホ。



それいけ!中学校編

キャンプにて

それは中学校主催のキャンプでのことだった・・・。
実行委員の一人だった私は、キャンプファイヤーでのトーチ点火をすることになっ
た。与えられたトーチにはそれぞれ意味があり、私は担当となった『平和の火』
に対するコメントを準備しておくよう言われた。

当日、天気は雨になり、キャンプファイヤーは急遽体育館でのキャンドルサービスに
変更された。シーツを体に巻き金色の冠をつけた実行委員達は、真っ暗な体育館で
キャンドルの付いた棒を持ち、コメントを述べながら火をつけていった。
『平和の火』の番が来て、私はコメントを述べた。
「この地球では、今も戦争が起きています・・・」と、悩みに悩み、母に手伝ってもらっ
たやたら長いコメントを、私は汗をかきながら読み上げ、最後はこう締めくくった。
「この(平和の)灯を永遠(とわ)に消さぬことを誓います!」
き、決まった・・・!
体育館は感動からか(?)静寂に包まれていた。
そして一歩前に出たら・・・・・体育館は爆笑の渦と化した。
「???」
私のキャンドルはが消えていた・・・・。顔がハニワになるさとうくん!
必死に笑いをこらえる先生から再び火を頂き、死ぬほど恥ずかしい想いと共に役目を終えたのだった。
あんな大勢に笑われたことは、生涯忘れないだろう・・・・・(泣)。

プールには

水泳部だったさとうくん。夏は真っ黒に焼けて、色白の多い秋田ではよくからかわ
れたものである。(←ちょっとトラウマ)
夏休みは毎日のように練習があった。当然家から水着を着用。お約束である。
(↑たまに下着を忘れるのもお約束である)

ある日事件は起こった。
それは私が休んでいた日だったので、以下は聞いた話である・・・。
みんなはいつものように着替えを終えて(といってもジャージを脱ぐだけ)、次々と
コカコーラのCMのように、走って水の中へ飛び込んでいった。(←危険です)
暑い日だったので、みんな「気持ちいい〜」とか言っていたその時。
「わ〜い」と言って飛び込んだある部員は、水色の水着の上に
黒いブルマーを履いたままだった。
みんなは目の前を一体何の物体が通ったのか、一瞬わからなかったという。
まるでマジカル頭脳パワーのようである。
動体視力の優れた(?)他の部員に指摘され、彼女は濡れたブルマーと共にプール
から上がったらしい。その時の彼女の心境はどんなものであったのか?
みんなの感想は「彼女、水着の上にブルマー履いてたんだね〜」であった。
水泳部の伝説となったのは言うまでもない。

より:彼女がこのページを見ないことを祈ります・・・・。でも面白いから許して。




熱血!高校編

何より怖いもの

人には何かしら”向き・不向き”というものがあるもの。
さとうくんの苦手なもの・・・・。最も不向きなもの・・・・。
そりは”数学”である。

中学までは良かった。特に図形は得意で、また連立方程式も、クラスで一番先に
理解したのはさとうくんであった。(←かなり嬉しかったらしい)
また数学に関しては良い先生に恵まれていたこともあり、嫌いではあったが成績は
他の教科に比べて格段に落ちることはなかった。

しかし高校に入学してから、さとうくんの数学は大変なことになっていった。
予習しようが復習しようが、全く頭に入らないのである。
”数1”のsin・csin・tanは、まさに綱渡り。テストは毎度赤点ギリギリだった。
2年生になり”基礎解析”が始まった時は、この世の終わりかと思った。
先生は学校でも厳しい授業と評判の教頭。数学の授業は毎時間地獄であった。
持病(?)の気管支炎が基礎解析の時間に限って再発したのは偶然ではないだろう。
よく友達と授業をサボり、サボっているのに数学の勉強をした。授業が怖かったのだ。

そしてある定期テストの前日。
夜中の3時まで、次の日の基礎解析のテスト勉強をしていた私はキレた
「もう駄目だ。どこか遠くへ行きたい」
と突然家を飛び出し、近くの海岸へ走った。星の綺麗な夜だった。
誰もいない海岸で波の音を聴きながら、明日のテストのことを考えた。
「明日は多分、ほとんど解けないだろう。・・・・でもこの海や空に比べたらちっぽけな
悩みじゃないか・・・・。」(←本気です)
しばらく海を眺めた後、家に戻り、諦めてもう寝ることにした。
結局テストはギリギリの41点であった。(39点から赤点)

このようにさとうくんを苦しめ、寿命すら縮めた恐怖の数学であったが、3年になり
「私立文系クラス」に進んだことで、お別れとなった。長かった戦いは終わったので
ある・・・。ば、ばんざ〜い♪
(しかしその後数学にかわって週10時間に増えた「英語」がさとうくんを恐怖に
陥れたのであるが・・・)

ということもあって、現在さとうくんは”数学のできる人”を尊敬している。
たまに会社のプログラマーさんの机の上で”数1”や”基礎解析”の教科書を見つけて
「うっ」とつわりのような拒絶反応を起こしてしまうが・・・。
また、未だに体調の悪い時はテストの夢を見る。全く勉強していないのに月曜から
テストだ!という夢。起きた後は非常にイヤな気分になるが、同時に「ああ社会人で
良かった!
夢で良かった!!」と毎回思う。
数学の恐怖は、今もさとうくんの中に残っている。心が忘れても体が忘れないのね♪

 合宿パジャマ事件

私の通っていた高校は、入学の1〜2年前に新築したばかりの、木造のピカピカの校舎だった。以前の合宿所はどこにあったのかは知らないが、新しくなった合宿所は学食の上で、各部屋には”〜自然の家”みたいな2段ベットが向かい合わせで造りつけられていた。
さて、さとうくん。
当時は某運動部のマネージャーをやっていて(驚かんように!)、しかもその部は基本的に男子だけで(納得せんように)、ショートカットでとても良く部員の中に溶け込んでいたのだった(激しく納得しないように!)。
で、運動部であるからして、当然合宿があるわけで・・・。何回目の合宿であったかは忘れたが(いや、記憶を消したと言った方が正しい)、ジャージを着て寝るのも色気がね〜なと、珍しくパジャマなんぞを持っていったりしたのが不幸の始まりであった。色気って言ったって元々無いのにね・・・(涙)。
夜になって、お風呂に入り、パジャマに着替えてくつろいでいたさとうくん。そこへ練習で部員が着た”汗だくのビブス”(マニアには堪えられまい)を洗濯する為に、他のマネジャーが声をかけてきたのだった。「あいよっ!」と返事をして、2段ベットの上から勢いよく飛び降りた瞬間。

・・・・ビリビリッ!

「・・・キャ〜っ!!」(by.さとうくん@悲鳴)


ベットに付いたハシゴのてっぺんに、パジャマが引っかかっちゃったのね。で、上手く切れるわけもなくて、ハシゴにぶら〜んとパジャマ姿のまま、ぶら下がってしまったんですな。弾け飛ぶボタン。絶句する友人マネージャー。いや〜、この時ばかりはね、”今すぐ友人マネージャーを消さねば!(泣)”と真剣に思いました。まあこの後、なんとかハシゴからパジャマをはずして降りて、背中に大きくナナメに入った穴(っていうのかな?亀裂??)をパーカーかなんかで隠して、普通に過ごしましたけどね。帰って来て洗濯物に出されたパジャマを見て母親は仰天してたみたいです。いやはや。



頑張れ!専門学校編

アルバイト

それはまだ恵比寿でウロチョロしていた頃。
当時付き合っていた人に誕生日プレゼントを贈るべく、さとうくんは生まれて初めて
アルバイトをすることにした。(動機がなんか健気・・・・)
デイリーanで見つけた、スーパーなどの「試飲・試食販売」の仕事だった。
説明会に参加して、服装や決まり事の説明、担当商品と担当店舗の割り当て、
商品の説明、声出しの練習etc・・・・を2時間ぐらいいろいろ受けた。

初仕事は練馬の光が丘での、キューピーのマヨネーズ&ドレッシングのPRだった。
開店前の9時にはお店に行き、いろいろ準備を始めるも初仕事でわからないことだら
け。与えられたレシピはなぜか「大和芋とカイワレのサラダ」であった。
せっせと作り、声を出してお客さんに食べてもらうが、大和芋がツルツルと滑る為、
あんまり好評ではなかったようだ。私も試食したが、あんまりおいしくなかった(笑)。
だいたいマヨネーズが苦手な人がマヨネーズを売る、というのがイカン。
お昼には会社に電話をして、売れ行きの報告。お昼ご飯を食堂で食べたら、直ぐに
またお仕事。立ちっぱなしはマネージャー時代で慣れてはいたけど、さすがに一日中
はきつくて、夕方は足が痛くてしょうがなかった。
結局バイト代は、土日2日間で1万7千円ぐらいになった。高い。

2回目。
食べ物はもう嫌!と悟ったさとうくんは「試飲」の方を希望。
今度は住んでいた亀有の隣、綾瀬のイトーヨーカドーでサントリーの「月下美人」という
ワインと日本酒をミックスしたお酒を売る。飲み物は準備も片づけも楽チンだったが、
肝心の売れ行きはサッパリで参ってしまった。どうも「どっち付かずな中途半端な味」
がいけないらしい。また、「車だからね」と断られるパターンが多く、
「嘘つけ!おまえなら乗るだろう!」などとココロで悪態をつきまくる。
笑顔なのに小声で「ばーか」と言う技もこの時おぼえたものである。
しかしそんな頑張りも空しく(味はどうにも出来ません・・・)、会社の助っ人の
お姉さんが急遽やって来て、2人でなんとかそこそこ売りさばき、バイトを終えた。ふ〜。

3回目。
市川のコルトンプラザで日本酒の試飲。
のハズだったが、お店の意向でお中元コーナーに回される。

4回目。
水戸のダイエーで日本酒の試飲。
「白鶴の生貯蔵酒」というのが大変言いにくく、何度も舌を噛む。
ちょっとだけ付いた遠距離手当てが嬉しい。

5回目。
なんと仙台で午後の紅茶の試飲。
前日から新幹線に乗ってビジネスホテルに泊る。地元の子を雇った方が安いのでは?と
思いながらもスタッフジャンバーを着込んで、仙台から50分のスーパーでお仕事。
子供をうまく操り、売り上げを上げることをおぼえる。
休憩時間に商品を飲んでひと休み。午後の紅茶狂になったのもこの時からである。

う〜ん、これ以降は宿題との両立が難しくて辞めてしまいました。
今度はどこに行かされるのか?と思うと怖くて・・・(笑)。
いい社会勉強になりました。売り子さんの仕事は結構ハードです。
デパートやスーパーで勧められたら、是非食べてあげてください。(あ、オチがない!?)



ぶらり京都旅情編

in 香港?

「ぶらり京都♪」なんて書いてみたものの、仕事で半年も狭いウィークリーマンションに
泊っていたので、ちっとも「情緒」なんかなかった京都DAYであるが、河原町や大阪な
んかには暇を見つけてはよく遊びに行っていたさとうくんである。
遊びといえばゲーセンや買い物が主であったが、パチンコにも随分精を出していた。
「ナナシー」には随分助けられ、お金も無く腹ペコだった日に、500円が6500円に
なった時には、「パチンコの神様ってホントにいるのね♪」と思ったものである。
また、「レモン牌」で”天和リーチ”が出たこと、「世界美女大集合」というちとショボい台
で、ひっそりと2連チャンしたこと等々、今となってはいい思い出である。

さて、京都で知り合ったUさん。彼はパチンコ大好きで、一回に投資する額もさとうくん
とはひと桁もふた桁も違う、ギャンブラーである。
そんな彼に、京都のオススメのパチンコ店を聞いた。
「そうね〜、俺の行っているホンコンって店がね、出てる台は出てるね。」
ふむ。ホンコンとはちと怪しい店名であるが、行ってみるべし!と早速行ってみる。
「し、渋い・・・・」
なんとも味のある店内である。もちろん外観も渋い。
台のセレクトも、かなり渋めであった。
さて打ってみるか、と席に座ってふと横を見ると、その店のパチンコ台は、
5台おきぐらいに、本当に5cmぐらい前に出ているのであった。ゴチーンとね。
やるなUさん・・・、出てるのは玉のことじゃなかったのか!?
結果は言わずもがな、惨敗でした・・・・(涙)。とほほん。

出会い

京都には働いてみたい♪と思わせる、素敵な雑貨屋さんが結構多い。
そういうお店をブラブラと見て回るのが、京都ライフの数少ない楽しみ(?)であった。

ある日、三条河原町にある雑貨屋さんに、不思議なモノが売られていた。
でっかいアヒルの貯金箱だった。
なぜかそのアヒルに釘付けになるさとうくん。一度は買わずに帰ったものの、どうして
も欲しくなって後日またその店に行ったら、もう売り切れていてアヒルはいなかった。
がっかり。
雑貨は一度売りきれると、なかなか入荷しないことが多い。
だから一週間後、他のお店で見つけたときは、急いでレジに持って行った。

嬉しくてホクホクのさとうくんはホテルに帰って、京都仲間のはほさんに、そのアヒル
を見せて買うまでのいきさつを話した。ふむふむと聞いていたはほさんは、突然、
「このアヒルはさとうくんに似ている!」
とでかい声で言うなり、ゲラゲラと笑い出した。
え〜っ!?とアヒルを見つめたが、反論の余地はなかった。
への字に突き出たくちばし、丸い頭、偉そうなポーズ、確かに私に似ているのである。
だから気になって仕方なかったのだろうか・・・?
それ以来、「ガーコ」というそのアヒルの貯金箱は「さとうくん」と呼ばれ、京都仲間の
間にすっかり定着してしまった。私が東京に戻っていていなかった間には、「さとうくん
と遊んだよ」「さとうくんとビデオを見た」とか「さとうくんはちゃんと仕事をしていた」等
の報告があり、大活躍していたようでもあった。

今でも会社を休むと、時折机の上にはガーコが乗っていて仕事をしているらしい
家にはクリスマスプレゼントでもらった、もっとでっかい(等身大?)ガーコがいて、
家に遊びに来た人達は帰り際、「じゃあね、さとうくん」と声をかけたり叩いたりして
行くのである。弟にいたっては、ぶつぶつ独り言を言っているな?と思ったら、そのガ
ーコを「おねーちゃん!」とかいって叱っていた。とほほ・・・。
でも自分で探してきたアヒルであるので、誰も責められないのが悲しい。
他人が買ってきたのなら、立派なイジメなのに・・・・。うう。

最近ガーコグッズが増えてきましたが、売り場で見ても決して「さとうくん!」とか言っ
たり、叩いたりとかしないでください。以上ガーコからのお願いでした。



めざせ!日暮里の星 編
1枚が2枚に・・・

お盆休み。さとうくんは毎年夏は実家のある秋田に帰ることにしている。
滞在はまあ一週間ほどで、昼間は海に行ったり、友達と遊んだりして過ごすのだが、
やはり田舎であるが故に、夜は暇である。8時を過ぎると街が真っ暗になってしまうん
だから、なんともはや・・・である。(といっても結構遊びに行くけどね)
そんな実家での夏の夜の友は、やはりゲームである。たまにお手洗いに起きてきた
親に「早く寝なさい!」なんて怒られたりして、非常にスリリングでもある(笑)。

さて今年。さとうくんは携帯ゲーム「どこでもいっしょ」に夢中であった。
実家でも、夜にポケピをお部屋に戻してあげたいと思ったさとうくんは、プレステも持
って帰る事にした。会社帰りに新幹線で帰るので、プレステを含めた重い荷物は前日
のうちに宅配便で送ってしまえばバッチリである。梱包する直前に「どこでもいっしょ」
をプレーして、そら(ポケピの名前)を部屋に戻してあげた。
さあ、これで完璧である。明日は会社にソフトを持って行って会社で戻してあげれば
いいし、その次の日は届いた荷物の中からプレステを出して実家で遊べば良い訳
だ。カンペキな計画に、我ながらウットリである。

さて帰る日。就業時間も過ぎ、そらを戻してあげようとしたところ、ソフトが無いのに気
が付いた。どうやら家に忘れてしまったようだ。がひょ〜ん!取りに行っては新幹線
の出発時刻に間に合わない。でもソフトを持って帰らない訳にはいかない。これでは
エンディングが見れないではないか。泣く泣くさとうくんはもう一本ソフトを買う事に決
めたのだった。
時間もそうなかったので、急いで上野へ。はほさんと海賊さんに手伝ってもらって、何
とか新しいソフトと一緒に新幹線に乗る事が出来た。あ〜、完璧な計画はどこへ!?
と、ガックリとうなだれるさとうくんであった。グ〜。(←寝たらしい)

そして次の日。届いた宅急便からプレステを出し、2日振りにそらを戻してあげようと
ポケステを差し込んで電源を入れた。
ムゥ〜〜ン♪
起動音の後、「ジャンジャンジャンジャン・・・♪」と聞き覚えのある曲が流れ出した。
あれ?買ってきたソフトはまだパッケージを切っていない。
も、もしかしてポケステだけでこのゲームって出来る!?
と、とても開発者とは思えないようなことをつぶやきつつ、恐る恐るプレステのふたを
開けてみると・・・。やはりというか、「どこでもいっしょ」のCD−ROMがくるくると回って
いるのであった。なんのことはない、早い話が、
プレステにソフトを入れたまま宅急便で送ってしまった
のである。じゃあ出社するとき、ちゃんとソフトを持って行っていても、ケースだけで中
身は空だった訳ね。あ、でもそしたらもう1枚買ってはいなかったのか・・・・。
その後しばらく、2枚に増えた「どこでもいっしょ」を前に、さとうくんが呆然と
していたのはいうまでもない。「おそるべし、SCE!!こうやってユーザーに2枚も買わ
せるのかっ!」なんて一人でつぶやいたりしてみたが、多分こんなアンポンタンな
理由で2枚もソフトを持ってる人って日本で私だけ
なのかもね・・・・。
と、テレテレとプレーした後、枕を涙で濡らしながら寝ました。ううう・・・(涙)。

そんな辛い思いをしてまで世話をしたポケピであったが、あっさりと11日目で
いなくなりまちた。いっそさとうくんもいなくなってしまおうかと、2枚のソフトを前に思っ
たのは本当のハナシです。